三河大草駅
かつて愛知県新城市にあった豊橋鉄道の駅
三河大草駅(みかわおおくさえき)は、愛知県新城市富保にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の駅である。南設楽郡長篠村(1956年以降は鳳来町、現・新城市)にあった駅の一つ。
三河大草駅 | |
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みかわおおくさ Mikawa-ōkusa | |
◄本長篠 (2.6 km) (2.2 km) 鳳来寺► | |
所在地 | 愛知県南設楽郡鳳来町富保 |
所属事業者 | 豊橋鉄道 |
所属路線 | 田口線 |
キロ程 | 2.6 km(本長篠起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
29人/日(降車客含まず) -1957年度- |
開業年月日 | 1930年(昭和5年)4月13日 |
廃止年月日 | 1968年(昭和43年)9月1日 |
備考 | 無人駅 |
特記のないデータは廃止時 |
歴史
編集三河大草駅は1930年(昭和5年)4月13日、田口鉄道により開設された[1][2]。
田口鉄道は、現在のJR飯田線本長篠駅と北設楽郡設楽町を結んだ鉄道で、その第一期線として本長篠駅から三河海老駅までの区間が1929年(昭和4年)に開通した[3]。このとき三河大草駅は設置されていないので、同駅は路線の開通から1年遅れて追加される形となった。駅が置かれたのは、大草トンネルの手前にあたる山中であった[4]。
1956年(昭和31年)10月1日、田口鉄道が豊橋鉄道に合併されたため豊橋鉄道田口線の駅となった。そして田口線の廃線に伴って1968年(昭和43年)9月1日、駅も廃止された[1]。
廃線となった田口線はバスに転換された。2012年現在、田口線があったルートに沿って走るバスは豊鉄バス田口新城線である。愛知県道32号長篠東栄線を走行しており、駅があった富保地内の字下畑に、駅名にある「大草」を名乗るバス停留所がある[5]。一方で、山中の駅跡地にはホーム跡が残されている[4]。
NHK BSプレミアムで放送の紀行番組「にっぽん縦断 こころ旅」910日目『愛知県新城市』の回で同駅のホーム跡が紹介された。
構造
編集利用状況
編集1957年度の乗車人員は1万1千人(1日平均29人)で、そのうち約5割にあたる6千人が定期乗車券での利用客であった。乗車人員は田口線の全11駅中で最少である。一方、貨物の取り扱いはない[8]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b 『日本鉄道旅行地図帳』7号、pp37-38
- ^ a b 『鳳来町誌』田口鉄道史編、p64
- ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、p58
- ^ a b 愛知県東三河広域観光協議会「Virtual State 穂の国:田口線廃線跡を歩こう!(後編)」。2012年8月7日閲覧
- ^ Mapion電話帳 大草バス停、2012年8月7日閲覧
- ^ 白井良和「奥三河に咲いたローカル線 田口線の回想」『鉄道ピクトリアル』第461号、鉄道図書刊行会、1986年3月、59頁。
- ^ 『図録』、p8
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和34年版、p386
参考文献
編集- 愛知県『愛知県統計年鑑』 第8回 昭和34年版、愛知県、1959年。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7号(東海)、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。
- 『したらの文化財 図録・田口線と用具』設楽町教育委員会、1996年。
- 飛田紀男『鳳来町誌』 田口鉄道史編、鳳来町教育委員会、1996年。