鍋島重茂

江戸時代中期の大名。肥前佐賀藩7代藩主。従四位下・信濃守、侍従。鍋島宗茂の七男

鍋島 重茂(なべしま しげもち[1])は、江戸時代中期の大名肥前国佐賀藩7代藩主。官位従四位下信濃守侍従

 
鍋島重茂
鍋島重茂像(高伝寺蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 享保18年7月18日1733年8月27日
死没 明和7年閏6月10日1770年8月1日
改名 捨丸/右平太、直亮、重茂
戒名 大弘院殿道聡良廓大居士
墓所 佐賀県佐賀市本庄町本庄の高伝寺
官位 従四位下信濃守侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
肥前佐賀藩
氏族 鍋島氏
父母 父:鍋島宗茂、母:貞姫(久世通夏の娘)
鍋島宗教
兄弟 宗教直隣重茂治茂、護姫、岡部長住正室ら
正室:霊松院伊達宗村の長女)
、継室:淑姫(徳川宗武の三女)
源丸、数子、養子:治茂
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略歴

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5代藩主・鍋島宗茂の七男として誕生。幼名は捨丸、右平太。初名は直亮(なおあき/なおすけ)。

寛延2年(1749年)に兄・鍋島宗教の養子となる。9代将軍徳川家重から松平姓を賜る[2]宝暦10年(1760年)、兄が隠居したため家督を継いだ。徳川家重の偏諱と鍋島家の通字により重茂に改名する[1]

明和7年(1770年)に38歳で死去した。嗣子が無かったため、実弟で養子の治茂が跡を継いだ。法名は大弘院殿道聡良廓大居士。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 「茂」は鍋島家の通字で本来は「しげ」と読むが、家重の「重」と読みが同じであるため、重茂(と11代藩主茂実)に限っては「もち」と読ませている。徳川家茂およびその偏諱の授与を受けた人物(茂実ほか)と同様の読みである。
  2. ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』、2000年、P208。

参考文献

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  • 村川浩平「肥前佐賀藩、鍋島氏への松平氏下賜」『駒沢史学』87号、2017年。