鍋島 宗教(なべしま むねのり)は、江戸時代中期の大名肥前佐賀藩6代藩主。官位従四位下侍従丹後守

 
鍋島宗教
鍋島宗教像(高伝寺蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 享保3年4月20日1718年5月19日
死没 安永9年2月2日1780年3月7日
改名 萬吉、教茂、宗教
戒名 光徳院殿瑞章良麟大居士
墓所 佐賀県佐賀市本庄町本庄の高伝寺
官位 従四位下侍従丹後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重
肥前佐賀藩
氏族 鍋島氏
父母 父:鍋島宗茂、母:貞姫(久世通夏の娘)
兄弟 宗教直隣重茂治茂、護姫、岡部長住正室ら
正室:綱姫中院通躬娘の)
伊達村俊
養子:重茂松子千百
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略歴

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5代藩主・鍋島宗茂の長男として誕生。幼名は萬吉。初名は教茂(のりしげ)。

元文3年(1738年)、父の隠居により家督を相続する。従四位下・侍従・丹後守に叙せられ、父と同じく将軍徳川吉宗より偏諱の授与を受けたが、父と同名になるのを避け、を「宗教」とした。この頃の佐賀藩の財政難は深刻で借銀高は増加、本藩の財政は家中の献米・献銀に依存していた。

延享2年(1745年)頃から自身の後継問題や、宗教を隠居させようとする動きなどがあったため、蓮池藩の鍋島直恒や武雄領の鍋島茂昭など、幕閣を巻き込んで一族が混乱した。

この混乱の処罰として、幕命により寛延2年(1749年)末に諫早茂行が強制隠居処分となり、その影響で寛延3年(1750年)には諫早一揆が起きた。

宝暦10年(1760年)に隠居し、家督を弟の重茂に譲った。安永9年(1780年)に63歳で死去した。法名は光徳院殿瑞章良麟大居士。

系譜

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