金指駅
金指駅(かなさしえき)は、静岡県浜松市浜名区引佐町金指にある、天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線の駅である。
金指駅 | |
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駅舎(2009年12月) | |
かなさし KANASASHI | |
◄常葉大学前 (2.8 km) (1.6 km) 岡地► | |
所在地 | 浜松市浜名区引佐町金指1033-2 |
所属事業者 | 天竜浜名湖鉄道 |
所属路線 | ■天竜浜名湖線 |
キロ程 | 41.9 km(掛川起点) |
電報略号 | カサ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
359人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1938年(昭和13年)4月1日 |
備考 | 有人駅 |
金指駅 | |
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駅西方に残っていた奥山線ガード跡(2021年撤去) (2005年5月) | |
かなさし KANASASHI | |
◄祝田 (1.4 km) (1.4 km) 岡地► | |
所在地 | 静岡県引佐郡引佐町金指 |
所属事業者 | 遠州鉄道 |
所属路線 | 奥山線 |
キロ程 | 15.9 km(遠鉄浜松駅起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1914年(大正3年)11月30日 |
廃止年月日 | 1964年(昭和39年)11月1日 |
歴史
編集当駅は浜松軽便鉄道の駅として開業した。同社線は1914年に当駅 - 元城駅間が開通し、南は遠鉄浜松駅、北は奥山駅まで路線を延長した。1915年に浜松軽便鉄道は浜松鉄道に社名を変更し、その後遠州鉄道と合併し、路線は奥山線となった。しかし奥山線は1964年に全線廃止された。
1938年に鉄道省二俣西線(後に二俣線に改称)が当駅に乗入れ、浜松鉄道と交差することとなった。このような場合、通常は新たに開通した線が昔からの線をガード等で跨ぐのだが、二俣線が東海道本線の非常時迂回線と考えられていたためか、浜松鉄道がガードを作って二俣線を越えることとなった。このガードはコンクリート製のもので、奥山線廃止後も2021年に撤去されるまで当駅西方に残っていた。
年表
編集遠州鉄道
編集- 1914年(大正3年)11月30日:浜松軽便鉄道(後の浜松鉄道)の駅が開設。
- 1915年(大正4年)12月28日:当駅 - 気賀駅(後の気賀口駅)間延伸。
- 1947年(昭和22年)5月1日:遠州鉄道が浜松鉄道を吸収合併、同社奥山線の駅となる。
- 1964年(昭和39年)11月1日:奥山線の遠鉄浜松 - 気賀口間廃線に伴い廃止。
天竜浜名湖鉄道
編集駅構造
編集島式ホーム1面2線を有する地上駅。北西寄りに駅舎がある。駅南側には保線車両等を留置する側線があり、駅西側で分岐する。1964年までは南寄りに、遠州鉄道奥山線(前述)ホームがあり、連絡する跨線橋も存在した。夜間滞泊運用もある。
有人駅。高架貯水槽、ホーム上屋及びプラットホームが、国の登録有形文化財に登録されている[2]。
のりば
編集ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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1 | ■天竜浜名湖線 | 上り | 天竜二俣・遠州森・掛川方面 | |
2 | 下り | 三ヶ日・新所原方面 | 当駅始発新所原行の一部列車は1番線ホームから発車 |
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高架貯水槽
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ホーム上屋(登録有形文化財に登録された)
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プラットホーム
貨物取扱
編集以前駅北側の山を通り抜けた引佐町井伊谷に磐城セメント(その後住友セメント→住友大阪セメント)浜松工場へ続く専用線(工場跡地はスズキ精密工業→スズキ部品製造)が分岐していた。ここからは製造品であるセメントが、佐久間ダム等の天竜川水系ダム資材として発送されていた[3]。また、駅南東にはJA静岡経済連のサイロ施設への専用線が続いており、こちらには知多駅、食品南駅から飼料が到着していた[4][5]。いずれの専用線も1985年(昭和60年)までに廃止となり同時に貨物の取扱も廃止となった。二俣線内では最後まで貨物取扱を行っていた。
利用状況
編集近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通り。
乗車人員推移 | |
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年度 | 1日平均乗車人員 |
2008 | 174 |
2009 | 146 |
2010 | 152 |
2011 | 150 |
2012 | 168 |
2013 | 150 |
2014 | 144 |
2015 | 325 |
2016 | 339 |
2017 | 366 |
2018 | 359 |
駅周辺
編集駅の周辺は住宅地である。
隣の駅
編集脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 金指駅 - 天竜浜名湖鉄道