元城駅(もとしろえき)は、静岡県浜松市(現・中央区元城町にあった遠州鉄道奥山線廃駅)である。奥山線の廃線に伴い1964年昭和39年)11月1日に廃駅となった。

元城駅
もとしろ
Motoshiro
北田町 (0.5 km)
(0.6 km) 広沢
地図
所在地 静岡県浜松市(現・中央区元城町
北緯34度42分49.5秒 東経137度43分38.0秒 / 北緯34.713750度 東経137.727222度 / 34.713750; 137.727222座標: 北緯34度42分49.5秒 東経137度43分38.0秒 / 北緯34.713750度 東経137.727222度 / 34.713750; 137.727222
所属事業者 遠州鉄道
所属路線 奥山線
キロ程 0.8 km(遠鉄浜松駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1914年大正3年)11月30日
廃止年月日 1964年昭和39年)11月1日
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歴史

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年表

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駅名の由来

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当駅の所在する地名より。地名は、明治維新で解体されるまで、当地附近に浜松城があったことに由来する[7]

駅構造

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廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[4]。互いのホームは千鳥式に配置されており、駅舎側ホーム西側と対向ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡した[4]。駅舎側ホーム(南側)が下り線、対向側ホームが上り線となっていた[4]

職員配置駅となっていた[4]。駅舎は構内の南側に位置し、ホーム東側に接していた[4]静岡国体に合わせて改築された駅舎であった[7]

構内には車輌工場と車庫が併設され、奥山線における運転関係の主要駅となっていた[4]。本線遠鉄浜松方・上り線が下り線と合流する手前から分岐した側線を有し、うち2線が対向側ホームの奥に位置する車庫へ、残り1線は車庫の隣の車輌工場へ延びていた[4]。建屋は車庫、車輌工場のほかに事務所を有した[4]。車輌工場では修理のほか、製造も行っていた[7]

駅周辺

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北田町を出た電車は家並裏を通り、国道152号(大手通り)を踏切で渡ると当駅であった。駅横には「遠鉄元城寮」というバスガイドの社員寮があった。 浜松城公園と浜松市体育館が近かった[7]

駅跡

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1997年平成9年)時点では、「ホテルコンコルド浜松」という名の大きなホテルになっていた[6]2007年(平成19年)8月時点[5][8]2010年(平成22年)時点でも同様であった[9]。このホテルは車輌工場があった場所に位置していた[5]

また、北田町駅跡から当駅跡までの線路跡は、1997年(平成9年)時点では細い路地になっていた[6]。2007年(平成19年)8月時点[5]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[9]。当駅跡から奥山方の線路跡は、2007年(平成19年)8月時点では南に進む[5]、ホテルと市民体育館の間の道路[8]になっていた。

隣の駅

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遠州鉄道
奥山線
北田町駅 - 元城駅 - 広沢駅

脚注

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  1. ^ a b c d e 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)216ページより。
  2. ^ a b c 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 7 東海』(監修:今尾恵介新潮社2008年11月発行)35ページより。
  3. ^ a b c d e 書籍『新 消えた轍 6 中部』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2011年5月発行)71ページより。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 書籍『RM LIBRARY 10 追憶の遠州鉄道奥山線』(著:飯島嚴、ネコ・パブリッシング2000年5月発行)6-7,30-31ページより。
  5. ^ a b c d e 書籍『新 消えた轍 6 中部』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2011年5月発行)72,74,76ページより。
  6. ^ a b c 書籍『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTBパブリッシング1997年5月発行)92-93ページより。
  7. ^ a b c d e f g 書籍『今は昔 しずおか懐かし鉄道』(編:静岡新聞社静新新書2006年6月発行)84,85ページより。
  8. ^ a b 書籍『私鉄の廃線跡を歩くII 関東・信州・東海編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年1月発行)44-47ページより。
  9. ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)129ページより。

関連項目

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