金成太郎

アイヌ最初の伝道者

金成 太郎(かんなり たろう、アイヌ名ペテロ1867年1月20日慶応2年12月15日〉 - 1897年明治30年〉1月20日)は、北海道幌別郡幌別村(現:登別市幌別)出身のアイヌで、アイヌで最初にプロテスタント洗礼を受けた人物で、アイヌ初の伝道者である[1][2]

幌別のアイヌの長老である金成喜蔵(アイヌ名:カンナリキ)の長男で、金成マツ(同名:イメカヌ)・ナミ(同名:ノカアンテ)姉妹の従兄で、知里幸恵・高央・真志保姉弟の従伯父である[1]

経歴

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1877年明治10年)5月に常盤小学校に入学し、ただ一人アイヌ生徒として教育を受けた。聖公会宣教師ジョン・バチェラーアイヌ語を教えていく中で、キリスト教に入信して、1885年(明治18年)にバチェラーより、アイヌとして最初の洗礼を受けた[1][2]

後に、母の連(アイヌ名:レルラ)や、従妹のマツ等、親戚の多くがクリスチャンになった。バチェラーの構想の下、父・喜蔵が創設した相愛学校の校長になり、アイヌの子どもたちを教えた。また、アイヌ最初の伝道者になった[2]

1897年(明治30年)1月20日、肺結核により30歳で死去した[1]

参考文献

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  1. ^ a b c d 「知里幸恵の背景を探る」富樫利一”. 2025年1月29日閲覧。
  2. ^ a b c 金成太郎 - 室蘭 - LocalWiki”. ja.localwiki.org. LocalWiki. 2025年1月29日閲覧。