金慶玉
金 慶玉(または金 京玉、キム・ギョンオク、1930年? - 2024年1月11日[1])は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家、軍人。確認されている最終的な役職は朝鮮労働党中央軍事委員会委員、朝鮮労働党中央委員会組織指導部統括第一副部長[2]。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は大将。
金 慶玉 | |
---|---|
各種表記 | |
チョソングル: | 김경옥 |
漢字: | 金 慶玉 |
発音: | キム・ギョンオク |
ローマ字: | Kim Kyŏng Ok |
略歴
編集2008年12月に党組織指導部第一副部長に就任する[3]。金慶玉の存在は、同月29日付の労働新聞の金正日が音楽公演を観覧したことを伝える記事で初めて明らかになった[4]。2010年9月27日に金正恩、金敬姫、崔竜海、玄永哲、崔富日と共に大将の軍事称号を得て[5]、翌28日の第3回党代表者大会で党中央軍事委員会の委員に選出された[4]。
2010年から2011年にかけての9ヶ月間に、党組織指導部第一副部長であった李勇哲(リ・ヨンチョル、軍事担当)、李済剛(リ・ジェガン、組織担当)、朴正淳(パク・ジョンスン)の3名が相次いで死去したことから、2011年1月時点で存命の党組織指導部第一副部長は金慶玉のみとなった[3]。
2012年に金正恩体制が発足すると、組織指導部第一副部長の立場にある金慶玉は、金正恩の叔母の金敬姫から党の政務をほとんど任されたという[6]。2013年12月末時点での党組織指導部第一副部長の権力序列は、金慶玉、趙延俊(チョ・ヨンジュン)、黄炳瑞(ファン・ビョンソ)の順であったとされたが[2]、2014年4月に黄炳瑞が次帥に昇進し、翌5月に党組織指導部を離れ朝鮮人民軍総政治局長に転出したことが確認され[7]、趙延俊は、2015年10月に行われた朝鮮労働党創建70周年慶祝中央報告大会で党内序列第18位となり[8]、2017年10月7日の朝鮮労働党中央委員会第7期第2回総会で党中央委員会検閲委員会委員長に転出したことが確認された。
2014年3月に行われた第13期最高人民会議代議員選挙で代議員に再選された。
2014年7月に全秉浩の葬儀委員の名簿に載って以降、しばらく金の動静が途絶えていたため、脱北した知識人による韓国の団体「NK知識人連帯」は、金正恩暗殺計画の発覚で警備の責任を負わされて2014年10月初旬に処刑されたと主張していたが[9]、2015年4月9日に開催された第13期最高人民会議第3回会議で金の健在が確認された[10]。
出典
編集- ^ a b “'김정은 권력세습 역할' 북한 김경옥 전 부부장 사망” (朝鮮語). 서울경제 (2024年1月13日). 2024年1月13日閲覧。
- ^ a b 張氏処刑を主導 党組織指導部 強力な権限 産経ニュース 2013年12月28日
- ^ a b 北朝鮮の要職幹部が相次ぎ死亡、権力闘争説も 聨合ニュース 2011年1月24日
- ^ a b 金正恩の権力基盤の両翼…住民・軍部の監視に核心幹部 中央日報 2011年12月30日
- ^ 北・ジョンウン氏に「大将」称号、金総書記後継公式化 聨合ニュース 2010年9月28日
- ^ 金正恩の後見人急逝説で浮上する北朝鮮の政情不安 週刊文春WEB 2013年7月26日
- ^ 北朝鮮の黄炳瑞党第1副部長が「人民軍次帥」に 金正恩体制の中枢人物に? 産経ニュース 2014年4月28日
- ^ 北朝鮮「党創建70周年」(下)「粛清疲れ」?人事は「安定性」を志向か Foresight 2015年10月23日
- ^ 【朝鮮半島ウオッチ】「平壌に外国製機関銃」次々発覚する正恩暗殺情報…深刻化する“恐怖の連鎖” 産経ニュース 2015年2月7日
- ^ 「最高人民会議後」の北朝鮮(下)「核心幹部」2人の動静に注目 Foresight 2015年4月22日
- ^ 「金永春元人民武力相国葬」から見て取れる北朝鮮党・軍幹部の序列 Yahoo!ニュース 2018年8月17日