金寿煥

大韓民国初の枢機卿

金 寿煥(キム・スファン、きん じゅかん、朝鮮語김수환1922年5月8日 - 2009年2月16日)は、洗礼名をステファノといい、大韓民国初の枢機卿である。本貫光山金氏[1]

金寿煥
ソウル大司教、枢機卿
大司教区 ソウル大司教区
着座 1968年
離任 1998年
聖職
司祭叙階 1951年9月15日
司教叙階 1966年2月15日
枢機卿任命 1969年4月28日
個人情報
出生 1922年5月8日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮大邱広域市
死去 2009年2月16日
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市江南聖母病院
墓所 龍仁カトリックソウル大教区聖職者陵園
出身校 上智大学
韓国天主教大学
ミュンスター大学
紋章 金寿煥の紋章
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金 寿煥
各種表記
ハングル 김 수환
漢字 金 壽煥
発音: キム・スファン
日本語読み: きん じゅかん
ローマ字 Gim Suhwan/Kim Suhwan
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生涯

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経歴

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金寿煥は、1922年5月8日日本統治時代の朝鮮大邱で8番目の子供として生まれた[2]

聖ユスティノ神学校を経て1941年から日本上智大学哲学を学んだが[3]1944年1月に学徒出陣して日本軍の任務に就いた[4]。父島で士官候補生訓練を受けたが、差別に抗議した結果幹部候補生資格を剥奪され、一等兵として終戦を迎える。なお、小笠原事件を目撃しており、戦後グアム法廷で証言した[5]

1947年から1951年まで韓国天主教大学で哲学の勉強を続け[6]1957年から1964年までドイツミュンスター大学神学及び社会学を学んだ[2][3]

大司教

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金寿煥は1951年9月15日に司祭に叙階され[2]1966年2月15日馬山教区司教に任命された[2]教皇パウロ6世1968年に金寿煥をソウル大司教区大司教に挙げた。大司教就任演説で、彼は大韓民国カトリックに「尊大にならず、社会に溶け込み」かつ貧しい人や社会に奉仕する教会になることを要請した[4]

枢機卿

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1969年4月28日、パウロ6世は僅か46歲の金寿煥を枢機卿の位に挙げ、その他にも平壌教区教皇庁代理を兼任させた。彼は韓国初の枢機卿である外に、当時ローマ・カトリック内で最年少の枢機卿であった[2][4]1970年代から1980年代にかけて、金寿煥は韓国が独裁体制を取っている間に人権の守護者となり、そのため多くの韓国人は彼を人権および民主主義守護者と称した[4]1990年代には、韓国での反米親北の傾向を憂い、北朝鮮の人権および体制に注意を払う必要性を表明した[7]1998年に開催したアジア司教会議特別大会では、金寿煥は3人の主席の代表の1人に選ばれた。金寿煥は同年4月3日に正式にソウル大司教区大司教および平壌教区教皇庁代理の職務を辞任し、鄭鎮奭大司教が後を引き継いだ[4]

逝去

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金寿煥は2008年に体の衰弱で入院し、同年10月初めには呼吸困難になり、重態になった。翌年2月15日には、突然肺炎の症状を起こし、午後に病状は更に悪化した。2009年2月16日、夕方の6時12分にソウル大司教区の江南聖母病院で世を去る。86歳であった。最後に「ありがとうございます、愛し合いましょう」という言葉を残した[8]

金寿煥は1989年に臓器移植同意書に署名していたので、同日夜の7時20分に眼球の移植手術を2人の病人に行い、その後亡骸はソウル明洞聖堂に移された。この後、4日間で約40万人もの群集が教会まで弔問に訪れた[9]。葬儀は同月20日明洞カテドラルで行われ、その後、龍仁カトリックソウル大教区聖職者陵園内に葬られた[4][7]

脚注

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  1. ^ 김수환과 광산김씨 - 정복규 본사사장”. 익산신문 (2010年5月24日). 2022年7月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e Cardinal Kim Sou-hwan”. www.catholic-pages.com. 2009年12月30日閲覧。
  3. ^ a b The Cardinals of the Holy Roman Church”. FIU. 2010年1月13日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 韓国 首位韓国枢機卿金寿煥安息主懷、享年八十六歲”. 天主教亞洲通訊社 (2009年2月20日). 2009年11月28日閲覧。
  5. ^ 記念館紹介” (朝鮮語). 金寿煥愛と分かち合い公園. 2024年9月25日閲覧。
  6. ^ 南韩金寿焕枢机主教过世 社会各阶层代表与市民前往悼念”. 聖經百科 (2009年2月20日). 2009年12月30日閲覧。
  7. ^ a b 韓天主教精神領袖 紅衣主教金寿煥仙逝”. 朝鮮日報中文網 (2009年2月17日). 2009年12月30日閲覧。
  8. ^ https://japanese.joins.com/JArticle/124480
  9. ^ 四天四十萬群眾排成“人河”送別金寿煥”. 朝鮮日報中文網 (2009年2月20日). 2009年12月30日閲覧。

参考文献

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  • 「アジア人物史 第12巻」集英社 2024年

外部リンク

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先代
盧基南
カトリックソウル大司教区 教区長
1968年 – 1998年
次代
鄭鎮奭