金 守漢(キム・スハン、朝鮮語: 김수한/金守漢1928年8月20日 - 2024年12月30日)は、大韓民国政治家。第7・8・9・10・12・15代韓国国会議員、元国会議長[1]

金守漢

本貫安東金氏一声(イルソン、一聲/일성)。キリスト教徒[1]。彼の子供のうち2人は父親の跡を継いで政治家となった(金盛東朝鮮語版金淑香朝鮮語版[2][3]

経歴

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大邱生まれ。嶺南大学校法学科卒業[1]

1957年に民主革新党の結成に参加し、政界入りした。民主党政策委議長、対屈辱外交反対闘争委員会スポークスマン新韓党スポークスマンを経て、1967年の第7代総選挙新民党の公認で立候補して当選し、国会議員となった。その後は新民党スポークスマンを経て、5度にわたって議員の職を務め、1996年に第15代総選挙に当選した後、1998年まで国会議長職を務め、以後政界を引退した[注釈 1][4]

2010年には慶南大学校より名誉政治学博士を授与された。2014年には嶺南大学校より名誉法学博士を授与された。また、勲一等旭日大綬章の受章者である[1]

金泳三大統領の系譜で政治に入門した影響で、金泳三の国葬の時に追悼の辞を朗読し、政界引退以後、保守系右派政党の常任顧問職に委嘱され時々党政策などの諮問をしてくる役割をしている[5]。また、韓日親善協会中央会長、金泳三民主センター理事長、大韓民国憲政会元老会議長、国民の力常任顧問団議長も務めた[4]

2024年12月30日に死去。享年96[4]

エピソード

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1980年には戒厳司令部合同捜査本部に連行され、1か月余りの不法拘禁を経験した。当時は新軍部の圧力により議員を辞職し、妻の財産まで強制献納されてから釈放されたため、2024年、真実和解のための過去史整理委員会により人権侵害の被害者に認定された[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 韓国では、国会議長職を務めた人物の大半は議長職を退任した後、政界を引退するのが慣例になっている。

出典

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  1. ^ a b c d 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2022年5月19日閲覧。
  2. ^ 김수한 전 국회의장 아들 김성동 교수 비례의원 승계” (朝鮮語). 경향신문 (2010年7月14日). 2022年5月19日閲覧。
  3. ^ 김숙향 전 국민의힘 중앙여성위원장, 동작구청장 출마 선언” (朝鮮語). 서울일보 (2022年4月7日). 2022年5月19日閲覧。
  4. ^ a b c d 6선 의원 지낸 김수한 전 국회의장 별세…향년 96세(종합)”. 연합뉴스 (2024年12月30日). 2024年12月30日閲覧。
  5. ^ 故 김영삼 전 대통령 영결식…김수한 추도사 "진정한 문민 정치가"” (朝鮮語). 중앙일보 (2015年11月26日). 2022年5月19日閲覧。