金子文六
日本の法学者、元裁判官、元外交官
金子 文六(かねこ ぶんろく、1902年9月6日 - 1991年5月25日[1])は、日本の法学者・元裁判官・元外交官。専門は、民事手続法(民事訴訟法・民事執行法・民事保全法)。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。
来歴
編集山梨県甲府市出身。山梨県立日川中学校(現・山梨県立日川高等学校)卒業。1926年高等文官試験司法科合格。1927年中央大学法学部卒業。司法官試補。1928年東京地方裁判所判事に就任。その後、福島地方裁判所判事、仙台地方裁判所判事、横浜地方裁判所判事を経て、1936年中華民国南京日本総領事館領事に就任。1942年中華民国天津日本総領事館領事。1946年東京控訴院判事。1948年中央大学法学部教授。1951年中央大学評議員。1962年中央大学より法学博士受く。1966年中央大学附属高等学校校長(~1969年)。1969年中央大学学長代行(~1969年)。中央大学理事長(~1972年)。中央大学総長代行(~1972年)。1973年中央大学定年退職。同名誉教授。東洋大学法学部客員教授。1977年東洋大学退職[2]。
この他、元全日本大学野球連盟会長、中央大学玉成会会長、東洋大学文学部非常勤講師(1935年-1939年、1949年-1953年)や東都大学野球連盟常任理事(1954年-1969年)、最高裁判所規則改定委員会委員などを歴任。1973年勲二等旭日重光章受章[1]。
著作
編集脚注
編集出典
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