金剛院 (横浜市)

神奈川県横浜市磯子区にある寺院。新四国東国八十八ヶ所霊場 第64番

金剛院(こんごういん)は、神奈川県横浜市磯子区にある高野山真言宗の寺院。山号は医王山。本尊は薬師如来

医王山金剛院[1]
所在地 神奈川県横浜市磯子区岡村5-3-1
位置 北緯35度24分57.1秒 東経139度36分31.3秒 / 北緯35.415861度 東経139.608694度 / 35.415861; 139.608694座標: 北緯35度24分57.1秒 東経139度36分31.3秒 / 北緯35.415861度 東経139.608694度 / 35.415861; 139.608694
山号 医王山
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
正式名 醫王山金剛院
別称 夢薬師
璃瑠山金剛院
醫王山金剛寺
札所等 新四国東国八十八ヶ所霊場 第64番
横浜磯子七福神 大黒天
公式サイト 夢薬師 金剛院
法人番号 9020005003459 ウィキデータを編集
金剛院 (横浜市)の位置(横浜市内)
金剛院 (横浜市)
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歴史

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開創時期には複数の説がある。『新編武蔵風土記稿』によると、長誉により開山され、1696年元禄9年)1月15日に入寂したとある[2]横浜市史稿にも、元禄の頃に長誉により創立されたとあるが、1633年寛永10年)の関東古義真言宗本末帳には宝生寺の末寺として記されている。旧家の過去帳の調査では長誉以前に少なくとも3代の住職がいたと見られ、長誉は堂宇を整備した中興の住職であると考えられる[3]1745年延享2年)の根岸領書上には医王山金剛と記され、院号は用いられていない。天保年間(1830年~)に記された『新編武蔵風土記稿』では璃瑠山金剛院として、寺号を用いない表記となっている[2]ことから、この間に寺号に変更があったものと考えられる[4]1909年明治42年)12月25日、達家本浄が17世住職に入山。1918年大正7年)、火災により建物や文書などを焼失。1932年(昭和7年)、農家を買い取り本堂を再建した。1975年(昭和50年)には本堂を改築、翌1976年(昭和51年)には大黒天の堂と地蔵堂を改築した。67年間にわたり住職を務めた本浄は、1976年11月15日に99歳で入寂した[5]2003年平成15年)には新たな本堂が竣工した[6]

境内

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汐見台滝頭を結ぶバス通りに並行する旧道(大黒通り)に面する。山門手前には、1938年昭和13年)に磯子区養豚組合により建立された養豚供養塔がある[7]。敷地には金剛保育園が併設されている。

仏像等

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本尊は高さ21cm薬師如来の木造の座像で、厨子には日光菩薩月光菩薩の彩色画が描かれている。このほか、阿弥陀座像・阿弥陀立像、聖観音菩薩像、弘法大師像が安置されている[8]1989年(平成元年)には薬師三尊立像を新たに安置し、「夢薬師」と命名した[1]。地蔵堂内には3体の石地蔵、大黒天堂内には福徳大黒天像と子育地蔵尊、厄除不動尊、二童子像が祀られている[9]横浜磯子七福神大黒天の札所として、毎年元日から1月15日までは七福神巡りの朱印が用意される[1]

交通

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脚注

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参考文献

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  • 磯子区観光協会『磯子七福神めぐり』1992年1月5日、12頁。 
  • 磯子区制50周年記念事業委員会『磯子の史話』1978年6月30日、387-391頁。 
  • 「岡村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ78久良岐郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763986/43 

外部リンク

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