金剛 謹之輔(こんごう きんのすけ、1854年10月6日(嘉永7年8月15日) - 1923年(大正12年)8月2日)は、シテ方金剛流能楽師。「謹之助」「謹之介」の表記もみられる。
金剛流の弟子家である、京都・野村金剛家に生まれる。西の名人として名高く、関西を中心に活躍。東の宝生九郎と並び称される。明治期の名人の一人。
子に二十四世金剛流宗家・初世金剛巌。
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