野村 軍記(のむら ぐんき、安永3年(1774年) - 天保5年10月20日(1834年11月20日))は、江戸時代の八戸藩士。名は宗軌(むねみち)、後に武一。字は子範、通称は左門、号は潜竜、金竜堂。
文化元年(1804年)、大目付に任じられ、江戸藩邸の経費節減、新田開発、藩の産物の統制などにより窮乏した藩財政の立直しを図ったが、天保5年(1834年)に久慈・軽米通 稗三合一揆が起こり失脚。閉門中に病死した。