野村治三郎 (6代)
6代 野村 治三郎(のむら じさぶろう[1]/ちさぶろう[2]、1828年(文政11年11月)[1] - 1900年(明治33年)9月8日[1])は、幕末から明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
編集のちの青森県上北郡野辺地町の豪商野村家に生まれる[2]。野村家は代々南部藩の御用商人、廻船問屋を務めた家柄で飢饉では救済米を施すなど慈善を行った[2]。1855年(安政2年)の飢饉や1872年(明治5年)の青森大火、三沢でのコレラ流行などの際に慈善を施し、野辺地のみならず周辺町村からも感謝された[2]。また、大坂より自費で御影石を取り寄せ、町内の道路修繕を行った[2]。1876年(明治9年)と1881年(明治14年)の明治天皇巡幸の際には、自邸の庭に行在所を設けた[2]。その功績などを称され明治天皇との拝謁を許されたが、その際には岩倉具視が列席した[2]。ほか、上北郡雲雀牧場頭取、青森県会議員を務めた[1]。
1890年(明治23年)青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[3]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[1]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656。