野原正勝
野原 正勝(のはら まさかつ、1906年3月16日 - 1983年2月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(10期)、労働大臣(第30代)を務めた。
野原 正勝 のはら まさかつ | |
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生年月日 | 1906年3月16日 |
出生地 | 埼玉県秩父郡野上町 |
没年月日 | 1983年2月10日(76歳没) |
出身校 |
旧制宇都宮高等農林学校 (現・宇都宮大学)林学科 |
前職 | 青森営林局(林野庁) |
所属政党 |
(日本自由党→) (民主自由党→) (自由党→) (日本民主党→) 自由民主党 |
親族 | 孫・近藤洋介 |
第30代 労働大臣 | |
内閣 | 第3次佐藤内閣 |
在任期間 | 1970年1月14日 - 1971年7月5日 |
選挙区 | 旧岩手1区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1947年 - 1955年5月23日 |
在任期間 | 1958年 - 1976年 |
来歴・人物
編集埼玉県出身。旧制宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学)卒業後、青森営林局(林野庁)入庁。
1947年の第23回衆議院議員総選挙に盛岡営林署在籍のまま旧岩手1区から出馬し初当選。通算当選10回。自民党内では三木武夫派に属した。
1955年5月23日に公職選挙法違反被告事件につき最高裁判所の言渡した判決に対する訂正の申立が棄却され、被選挙資格を喪失して議員退職した[1]。
第3次吉田茂内閣では農林政務次官を務め、1970年1月から1971年7月まで第3次佐藤榮作内閣の労働大臣を務めた。
1976年の第34回衆議院議員総選挙で落選したため、政界引退。なお、引退前に永年勤続(25年)を迎えていたために第79回国会で永年勤続表彰を受けた[2]。
家系
編集主な政治的主張と業績
編集党の役職の半分以上が農林関係である。今日の農政の方向付けという役割を果たし、「農政の野原」と呼ばれた。
内地開拓と食料増産
編集敗戦後の虚脱状態の中、「耕すに可能な土地は寸尺といえども耕す」という信念のもと、祖国再建のためには「国有林を大解放して、内地開拓を推進すべし」と主唱。営林署長であった野原は、手始めに、自分の管内の和賀郡沢内村(現:和賀郡西和賀町)の1千ヘクタールの土地を肺胞して、5ヘクタール経営の農家200戸を創設する。通常、国有林の管理者が国有林を解放することは、反逆ともとれる行動であり、周囲の反発も強かったという。
岩手山麓開拓の手法として、集約酪農の礎をつくった。
農業災害補償の抜本改正
編集もともと、野原は、制度の内容を熟知しており、改正案の根幹をつくった。また、農林基盤整備事業の予算化にも力を尽くした。
米生産過剰対策
編集米偏重の施策を改め、各作目にバランスのとれた農業振興を図りながら農業の自立性を高めていこうとした。これは、総合農政を標榜しながらも、アメリカの穀物余剰をにらみあわせた、国際分業論の考えが根底にあったためである。しかし、この考えは、のちに、その後に起きた石油ショックで、食料が戦略物資化するに及んで破綻した。
岩手大学農学部創設
編集1947年、盛岡農専が、戦後学制改革を前に、東北大学へ吸収される危機に瀕していた。しかし、存続派の卒業生らは、上京して野原に協力を求めた。野原は、他県選出議員と協力のもと、GHQ(連合軍総司令部)相手に陳情を開始し、新設された岩手大学農学部として存続されることが決まった。
歴職
編集- 1939年7月 青森・脇野沢営林署長
- 1946年4月 川尻営林署長
- 1946年4月 盛岡営林署長
- 1947年4月 衆議院議員初当選
- 1951年12月12日 農林政務次官(〜1952年6月)
- 自民党政務調査会農林部副会長(二期)
- 農林漁業基本政策調査会副会長(二期)
- 衆議院農林水産常任委員長(二期)
- 党政務調査会農林部会長、同山村振興対策特別委副委員長
- 1969年4月 総合農政調査会副会長、同会小委員会委員長
- 1970年1月14日 労働大臣(〜1971年7月5日)
- 全国山村振興連盟会長
- 日ソ友好協会常任理事
- 日中友好協会常任理事
脚注
編集- ^ 『官報』本紙第8519号455ページ「国会事項 ◯衆議院 議員退職」、1955年5月28日
- ^ “第79回国会 衆議院本会議 第4号 (昭和51年12月28日)”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館 (1976年12月28日). 2020年2月5日閲覧。
参考文献
編集- 『岩手の先人100人』岩手日報社
公職 | ||
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先代 原健三郎 |
労働大臣 第30代:1970年-1971年 |
次代 原健三郎 |
議会 | ||
先代 田川誠一 |
衆議院社会労働委員長 1973年 - 1975年 |
次代 大野明 |
先代 坂田英一 |
衆議院農林水産委員長 1961年 - 1962年 |
次代 長谷川四郎 |