酒津村

日本の鳥取県気高郡にあった村

酒津村(さけのつそん)は、鳥取県気多郡気高郡にあった自治体である。

さけのつそん
酒津村
酒津漁港
酒津漁港
廃止日 1955年7月1日
廃止理由 新設合併
宝木村酒津村瑞穂村逢坂村浜村町気高町
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
気高郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 0.59 km2
総人口 1,035
[1]、1955年)
隣接自治体 宝木村
酒津村役場
所在地 鳥取県気高郡酒津村字村東ノ切399ノ内1番[2]
酒津村役場跡(酒津公民館)
酒津村役場跡(酒津公民館)
座標 北緯35度31分24秒 東経134度05分15秒 / 北緯35.52347度 東経134.08763度 / 35.52347; 134.08763座標: 北緯35度31分24秒 東経134度05分15秒 / 北緯35.52347度 東経134.08763度 / 35.52347; 134.08763
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概要

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現在の鳥取市気高町酒津に相当する。河内川河口東側と水尻谷の間に位置し、北は日本海に面した漁村であった。

藩政時代は鳥取藩領の気多郡母木庄(ほうぎのしょう)に属した。元は母木村の枝郷であったが享和3年(1803年)に新田として幕府に届出、天保5年(1834年)に分村した[3]

村名は、当地に漁民が家を移して村を作った際に「樽谷」と呼ばれていたが、亀井武蔵守茲矩が領主の時に海辺に谷はふさわしくないとのことで樽に因んで酒津をあてたとされる。また戦国時代キリスト教の伝来によって早くからキリスト教の聖地となっており漁民は海辺(港)で朝夕神に祈りを捧げていたことから、「捧げる」を「酒」になぞらえ(この地方では酒をササとも言った)、港を意味する「津」と合わせて酒津と命名したとも考えられる[4]

沿革

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  • 天保5年(1834年) - 母木村から分村して酒津村となる。
  • 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
  • 1883年(明治16年) - 宝木宿(後の宝木村大字宝木)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、自治体としての気多郡酒津村が発足。大字は編成せず。
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡酒津村となる。
  • 1955年(昭和30年)7月1日 - 宝木村・瑞穂村逢坂村浜村町と合併し、気高町が発足。同日酒津村廃止[5]。気高町大字酒津となる[6]

行政

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歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
升波市平 1889年(明治22年)11月18日 1893年(明治26年)11月17日
2 西尾杉造 1893年(明治26年)12月15日 1895年(明治28年)4月28日 家事故障
3 村上安太郎 1895年(明治28年)6月 1899年(明治32年)6月
4 村上安太郎 1899年(明治32年)6月 1903年(明治36年)2月28日 家事故障
5 升波市太郎 1903年(明治36年)3月20日 1907年(明治40年)3月19日
6 磯辺松太郎 1907年(明治40年)4月25日 1911年(明治44年)4月24日
7 磯辺松太郎 1911年(明治44年)5月16日 1915年(大正4年)5月15日
8 磯辺松太郎 1915年(大正4年)5月16日 1919年(大正8年)5月15日
9 磯辺松太郎 1919年(大正8年)5月16日 1925年(大正14年)9月16日 死亡
10 新實夫 1925年(大正14年)10月23日 1929年(昭和4年)10月22日
11 新實夫 1929年(昭和4年)10月24日 1933年(昭和8年)10月23日
12 新實夫 1933年(昭和8年)10月24日 1937年(昭和12年)10月23日
13 新實夫 1937年(昭和12年)10月24日 1938年(昭和13年)8月10日 家事故障
14 和田定七 1938年(昭和13年)11月28日 1940年(昭和15年)7月20日 家事都合
15 和田定七 1940年(昭和15年)12月3日 1944年(昭和19年)12月2日
16 松林亀吉 1945年(昭和20年)4月1日 1946年(昭和21年)11月14日 辞任
17 松林新蔵 1947年(昭和22年)4月5日 1948年(昭和23年)1月9日 家事都合
18 八田章一 1948年(昭和23年)3月1日 1952年(昭和27年)2月28日
19 八田章一 1952年(昭和27年)3月1日 1955年(昭和30年)6月30日
参考文献 - [1][4]

教育

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酒津小学校跡
  • 酒津村立酒津小学校:1874年(明治7年)5月23日開校。1957年(昭和32年)4月に気高町立宝木小学校に統合され、現在は鳥取市立宝木小学校となる[4]
  • 瑞穂村酒津村学校組合立気高中学校:所在地は宝木村大字宝木、現在の気高電機の位置。1968年(昭和43年)4月に気高町内の中学校統合により新・気高中学校となり、現在は鳥取市立気高中学校となる[4]

交通

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道路

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酒津隧道(旧国道9号)
  • 国道9号(旧国道18号)
    当村付近の路線は2度変更されている。最初は水尻池北岸から母木坂を通るルート(一部区間は後に県道宝木停車場酒津港線となった)であったが幅員が狭くてカーブが多く、また冬期の除雪も沿道住民に出動要請していた。このことから県(当時の建設省は河川管理を主にしており国道の新設・管理は県に委託していた)は新ルートを計画したが八田章一村長を始めとする酒津村の国道誘致運動により、酒津隧道(全長117.5m、1951年12月24日貫通、1953年3月完成)を経由し村の中心部を通るルートが開通した[7]。その後交通量の激増により1973年(昭和48年)4月1日に酒津バイバスが供用開始し現在に至る[4][8]
    酒津隧道を通るルートはバイパス完成後の1974年(同49年)3月30日気高町告示第15号で気高町道宝木酒津水尻線(現・鳥取市道宝木酒津水尻小沢見線[9])と認定、同年8月14日に正式に国道から降格された[4][10]

鉄道

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港湾

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  • 酒津漁港

文化

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出身者

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脚注

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  1. ^ a b 気高町誌(気高町教育委員会、1977年)
  2. ^ 鳥取県気高郡勢要覧 大正11年(鳥取県気高郡、1924年)
  3. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「母木庄(近世)」「酒津村(近世)」
  4. ^ a b c d e f g 酒ノ津史散歩 : 鳥取県の一漁村(橋本寿雄、1986年)
  5. ^ 「鳥取県告示第312号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 第2628号』1955年6月28日鳥取県立公文書館
  6. ^ 「鳥取県告示第417号・気高町の一部区域の名称変更及び大字設置」『鳥取県公報 第2647号』1955年9月2日(鳥取県立公文書館)
  7. ^ 「鳥取県告示第86号・国道9号線の拡幅3ヶ所」『鳥取県公報 第2592号』1955年2月22日(鳥取県立公文書館)
  8. ^ 「建設省告示第211号・一般国道九号の区域の変更に関する告示」『官報』1972年2月16日
  9. ^ 鳥取市 トンネル⾧寿命化修繕計画(鳥取市、2023年)
  10. ^ 「建設省告示第1100号」『官報』1974年8月14日
  11. ^ 酒津のトンドウ(文化遺産オンライン)、酒津のトンドウ(鳥取市)

関連項目

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