酒泉市
中国甘粛省の地級市
酒泉市(しゅせん-し)は、中華人民共和国甘粛省に位置する地級市。
中華人民共和国 甘粛省 酒泉市 | |
---|---|
莫高窟 | |
甘粛省中の酒泉市の位置 | |
簡体字 | 酒泉 |
繁体字 | 酒泉 |
拼音 | Jiŭquán |
カタカナ転写 | ジュウチュェン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 甘粛 |
行政級別 | 地級市 |
面積 | |
総面積 | 167,996 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 91 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0937 |
郵便番号 | 735000 |
ナンバープレート | 甘F |
行政区画代碼 | 620900 |
公式ウェブサイト: http://www.jiuquan.gov.cn/ |
地理
編集酒泉市は甘粛省西北部、河西回廊の西端、東経92度09分から100度20分、北緯37度58分から42度48分の範囲に位置する。東は張掖市、南は青海省、西は新疆ウイグル自治区、北は内モンゴル自治区のエジン旗と隣接し、モンゴル国との国境を有する。東西680km、南北550km。
酒泉の地名の由来となった泉は、鐘楼からすぐ近くの公園の中にあった。河西回廊の伝説には必ずと言っていいほど、漢の英雄の霍去病が登場する。
霍去病が匈奴を打ち負かしたことを聞いた漢の武帝は、10樽の酒を彼に送った。しかし、20万人もの兵士全員にいきわたるはずはなく、霍去病はすべての兵が平等に皇帝からの酒をいただくために、酒を泉に注ぎ込んだ。すると泉の水が濃厚な酒の香を放ち、その美酒はいくら飲んでも尽きることなく沸き続けた。これにちなんで、「酒の泉」と呼ばれるようになったという。
霍去病の西域遠征の像が池のそばに作られている。
民族
編集2000年の国勢調査時のデータ;総人口は980,492、人口密度5.45人/km²。
民族 | 人口 | 比率 |
---|---|---|
漢族 | 952,672 | 97.16% |
回族 | 7,248 | 0.74% |
東郷族 | 5,623 | 0.57% |
モンゴル族 | 4,958 | 0.51% |
カザフ族 | 2,788 | 0.28% |
ユグル族 | 2,435 | 0.25% |
チベット族 | 2,307 | 0.24% |
土族 | 791 | 0.08% |
満州族 | 686 | 0.07% |
土家族 | 230 | 0.02% |
ウイグル族 | 190 | 0.02% |
苗族 | 125 | 0.01% |
その他 | 439 | 0.05% |
行政区画
編集行政区画 | 面積 | 人口 |
---|---|---|
粛州区 | 3,386km2 | 34万人(2002年) |
玉門市 | 13,307km2 | 19万人(2002年) |
敦煌市 | 26,960km2 | 13万人(2002年) |
金塔県 | 14,663km2 | 14万人(2004年) |
瓜州県 | 23,150km2 | 9万人(2004年) |
粛北モンゴル族自治県 | 55,000km2 | 1万人(2002年) |
アクサイ・カザフ族自治県 | 31,374km2 | 1万人(2004年) |
酒泉市の地図 |
---|
年表
編集酒泉専区(1949年-1955年)
編集- 1949年10月1日 - 中華人民共和国甘粛省酒泉分区が成立。酒泉県・金塔県・鼎新県・安西県・敦煌県・玉門県・臨沢県・高台県・粛北設治局が発足。(8県1設治局)
- 1949年12月 - 酒泉分区が酒泉専区に改称。(8県1設治局)
- 1949年12月5日 (6県1旗1設治局)
- 1950年5月25日 - 張掖専区高台県・臨沢県を編入。(8県1旗1設治局)
- 1950年7月20日 - 粛北設治局が自治区に移行し、粛北自治区となる。(8県1旗1自治区)
- 1950年7月24日 - エジン旗が寧夏省に編入。(8県1自治区)
- 1950年12月 - 高台県の一部が武威専区張掖県に編入。(8県1自治区)
- 1953年10月26日 - 玉門県の一部が分立し、玉門鉱区が発足。(8県1自治区1鉱区)
- 1953年12月22日 - 粛北自治区が粛北モンゴル族自治区に改称。(8県1自治区1鉱区)
- 1954年3月20日 - 酒泉県・高台県の各一部が武威専区張掖県の一部と合併し、粛南ユグル族自治区が発足。(8県2自治区1鉱区)
- 1954年6月19日 - 寧夏省エジン旗自治区を編入。(8県3自治区1鉱区)
- 1954年6月26日 - 金塔県の一部が鼎新県に編入。(8県3自治区1鉱区)
- 1954年7月15日 - 敦煌県の一部が分立し、アクサイ・カザフ族自治区が発足。(8県4自治区1鉱区)
- 1954年9月24日 - 金塔県の一部が酒泉県に編入。(8県4自治区1鉱区)
- 1955年2月22日 - 粛北モンゴル族自治区が県制施行し、粛北モンゴル族自治県となる。(8県1自治県3自治区1鉱区)
- 1955年3月16日 - エジン旗自治区が旗制施行し、エジン自治旗となる。(8県1自治県1自治旗2自治区1鉱区)
- 1955年5月19日 - 粛南ユグル族自治区が県制施行し、粛南ユグル族自治県となる。(8県2自治県1自治旗1自治区1鉱区)
- 1955年7月25日 - アクサイ・カザフ族自治区が県制施行し、アクサイ・カザフ族自治県となる。(8県3自治県1自治旗1鉱区)
- 1955年10月10日 - 酒泉専区が武威専区と合併し、張掖専区の発足により消滅。
玉門市
編集酒泉市(第1次)
編集- 1958年11月21日 - 張掖専区酒泉県・金塔県が合併し、酒泉市が発足。(1市)
- 1961年12月15日 - 一部が分立し、酒泉専区金塔県となる。(1市)
- 1964年6月5日 - 酒泉市が酒泉専区に編入。
酒泉地区(1961年-2002年)
編集- 1961年11月15日 - 張掖専区玉門市・敦煌県・安西県・粛北モンゴル族自治県・アクサイ・カザフ族自治県を編入。酒泉専区が成立。(1市2県2自治県)
- 1961年12月15日 - 酒泉市の一部が分立し、金塔県が発足。(1市3県2自治県)
- 1964年6月5日 - 酒泉市を編入。(1市4県2自治県)
- 酒泉市が県制施行し、酒泉県となる。
- 1965年7月19日 - 酒泉県の一部が張掖専区粛南ユグル族自治県の一部と合併し、嘉峪関市が発足。(2市4県2自治県)
- 1965年7月28日 (1市4県2自治県)
- 嘉峪関市が省直轄県級行政区となる。
- 酒泉県の一部が嘉峪関市に編入。
- 1969年7月5日 - 内モンゴル自治区バヤンノール盟エジン旗を編入。(1市4県2自治県1旗)
- 1969年9月4日 - 酒泉専区が酒泉地区に改称。(1市4県2自治県1旗)
- 1970年5月8日 - 嘉峪関市を編入。(2市4県2自治県1旗)
- 1971年9月10日 - 嘉峪関市が地級市の嘉峪関市に昇格。(1市4県2自治県1旗)
- 1971年10月23日 - 粛北モンゴル族自治県の一部が安西県に編入。(1市4県2自治県1旗)
- 1971年11月11日 (1市4県2自治県1旗)
- 酒泉県の一部が嘉峪関市に編入。
- 張掖地区粛南ユグル族自治県の一部が酒泉県に編入。
- 1972年12月8日 - 酒泉県の一部が張掖地区粛南ユグル族自治県に編入。(1市4県2自治県1旗)
- 1973年7月28日 - 安西県の一部が粛北モンゴル族自治県に編入。(1市4県2自治県1旗)
- 1979年5月30日 - エジン旗が内モンゴル自治区バヤンノール盟に編入。(1市4県2自治県)
- 1985年5月14日 - 酒泉県が市制施行し、酒泉市となる。(2市3県2自治県)
- 1986年5月24日 (2市3県2自治県)
- 粛北モンゴル族自治県の一部がアクサイ・カザフ族自治県に編入。
- アクサイ・カザフ族自治県の一部が粛北モンゴル族自治県・敦煌県に分割編入。
- 1987年8月21日 - 敦煌県が市制施行し、敦煌市となる。(3市2県2自治県)
- 2002年6月18日 - 酒泉地区が地級市の酒泉市に昇格。
酒泉市(第2次)
編集観光地
編集交通
編集空港
鉄道
道路
- 連霍高速道路
- G312国道