玉門関(ぎょくもんかん, Yumen Pass, Jade Gate)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ[1]2度に渡り建立された。現存する玉門関遺跡は漢代のものである。俗称は小方盤城。

玉門関
漢代の玉門関遺跡
所在地 中国甘粛省
座標 北緯40度21分12.6秒 東経93度51分50.5秒 / 北緯40.353500度 東経93.864028度 / 40.353500; 93.864028座標: 北緯40度21分12.6秒 東経93度51分50.5秒 / 北緯40.353500度 東経93.864028度 / 40.353500; 93.864028
玉門関の位置(甘粛省内)
玉門関
プロジェクト 地形
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元来は代に武帝河西回廊を防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその最西端に建造されたとされる。その後、六朝時代には交通の要綱として栄え、代に再建された際は安西の東側に建設された。同じく南西に設置された陽関とともに、西域交通で北ルートを通ると玉門関、南ルートでは陽関を通過していた。代になって西域交通が衰え、衰退した。

1988年全国重点文物保護単位に指定され、2014年にはシルクロード:長安-天山回廊の交易路網の構成資産としてUNESCO世界遺産リスト登録物件に含まれた。

文化

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玉門関は、中国で古代より文化人が辺境の地での戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地であった。唐代の詩人王之渙は「春光度らず玉門関」として著名な以下の涼州詞を詠んでいる。

黃河遠上白雲間,一片孤城萬仞山。
羌笛何須怨楊柳,春風不度玉門關。

黄河遠く上る白雲の間。一片の孤城、万仞の山
きょうてきなんもちいん楊柳ようりゅううらむを。 春光しゅんこうわたらず玉門関

また王昌齢は一度も西域に渡ったことはないが[1]、「従軍行」において以下の詩を詠んでいる[1]

青海せいかいの長雲 雪山せつざん暗し
孤城 遙かに望む玉門関
黄沙百戦 金甲を穿うが
楼蘭を破らずんばついに還らず

従軍行(王昌齢)

玉門関と万里の長城

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1990年代までは玉門関が万里の長城の西端であると考えられてきたが、1998年以降、さらに西方に歴代王朝が築いた長城に関する遺跡が発見されており、必ずしも西端とは言い難い状況となっている[2]

万里の長城。玉門関はその西端であった。

周辺

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脚注

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  1. ^ a b c 井上靖 [ほか] 編『西域・黄河名詩紀行 : カラー版』 第1巻 (西域)、日本放送出版協会、1987年、28-31頁。doi:10.11501/12574146 
  2. ^ 長城の長さは今も確定できていない―専門家が最も重要な「意外な問題」を紹介”. 中国新聞社 (2023年1月3日). 2023年1月5日閲覧。
  3. ^ 中国が「核サイロ」の大増設に踏み切る…もはや核兵器が「最小限の抑止力」じゃなくなる「最悪のシナリオ」”. 現代ビジネス (2023年10月19日). 2023年10月27日閲覧。

関連項目

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  • 李白 - 子夜呉歌という詩でこの門が歌われている。
  • 西域