酒井俊雄
酒井 俊雄(さかい としお、1898年(明治31年)6月25日[1][2] - 1982年(昭和57年)8月5日[3][4][5])は、愛知県津島市出身の弁護士。衆議院議員を2期務めた。
酒井俊雄 さかい としお | |
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生年月日 | 1898年6月25日 |
出生地 | 日本 愛知県名古屋市東区 |
没年月日 | 1982年8月5日(84歳没) |
死没地 | 日本 愛知県名古屋市中区 |
出身校 | 中央大学専門部法律科 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 |
(無所属→) (協同民主党→) 国民協同党 |
選挙区 |
(愛知県第2区→) 旧愛知4区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1946年4月10日 - 1948年12月23日 |
経歴
編集愛知県名古屋市東区生まれ[6][注釈 1]。1918年(大正7年)、岡崎師範学校(現・愛知教育大学)を卒業[6]。1929年(昭和4年)中央大学専門部法律科卒業[3][4]、小学校訓導となる。その後、高等試験司法科試験に合格して、1934年(昭和9年)弁護士となり、税務代理士(現税理士)も務めた[4]。
愛知県臨時社会調査員、同方面委員を務めた[4]。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に愛知県第2区から出馬して当選[3][4][5]。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙に愛知県第4区から国民協同党所属で出馬して当選し、衆議院議員を連続2期務めた[3][4][5]。この間、協同民主党政調会法制部長、国民協同党政調会司法部長、同党中央委員などを務めた[3][4][5]。その後、第24回総選挙に立候補したが落選した[7]。
1982年8月、国立名古屋病院(現国立病院機構名古屋医療センター)で、気管支炎により死去した[5]。
出典
編集注釈
編集- ^ 『代議士禄』には碧海郡高岡村生まれとある
脚注
編集参考文献
編集- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。