遠藤胤将
日本の江戸時代後期の大名。近江三上藩初代藩主遠藤胤親長男で、三上藩2代藩主。従五位下備前守。奏者番・大番頭・日光祭礼奉行等を歴任
遠藤 胤将(えんどう たねのぶ)は、近江三上藩の第2代藩主。三上藩遠藤家7代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳2年12月22日(1713年1月18日) |
死没 | 明和8年4月12日(1771年5月25日) |
改名 | 吉之助(幼名)、胤和(初名)、胤将 |
別名 | 主膳(通称) |
戒名 | 心院素江 |
墓所 | 東京都台東区西浅草の長敬寺 |
官位 | 従五位下、備前守 |
幕府 | 江戸幕府 大番頭、奏者番、日光祭祀奉行 |
藩 | 近江国三上藩主 |
氏族 | 遠藤氏 |
父母 | 父:遠藤胤親、母:久松氏 |
兄弟 | 胤将、胤充、胤忠 |
妻 |
正室:植村政広の娘 継室:戸田氏定の養女(戸田定浩の娘) |
子 | 明林院、養子:胤忠 |
経歴
編集1712年(正徳2年)、三上藩初代藩主・遠藤胤親の長男として江戸一橋邸で生まれる。1733年(享保18年)9月25日、父の隠居により家督を継ぐ。
1734年(享保19年)2月15日、江戸城竹橋門番に任じられ、1736年(享保21年)4月17日に日光祭礼奉行に任じられた[1]。
1745年(延享2年)9月20日に大番頭に任じられる。1751年(寛延4年)8月23日、大坂城京橋口定番に任じられ、1767年(明和4年)に奏者番に任じられた。
系譜
編集父母
- 遠藤胤親(父)
- 久松氏(母) - 側室
正室、継室
子女
- 明林院
養子
- 遠藤胤忠 - 胤親の三男