遠藤温
日本の政治家、弁護士
遠藤 温(えんどう おん、1823年(文政6年7月[1][2])- 1896年(明治29年)6月4日[2])は、明治時代の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)。
経歴
編集陸奥仙台藩領桃生郡深谷北村(宮城県桃生郡深谷村、北村、河南町を経て現石巻市)出身[1]。上京し昌平黌に入り経史を修める[3]。帰郷後は家業の醸造業に従事する傍ら子弟教育に尽くす[3]。1868年(明治元年)会津戦争では会津藩赦免の嘆願に関与した[3]。1869年(明治2年)昌平黌教授試補兼副舎長となり、同年5月、教授兼舎長に進み、7月、大学中助教となる[3]。
1870年(明治3年)5月、仙台藩少参事に任じ、1871年(明治4年)4月、権大参事に進み、1875年(明治8年)2月、宮城県参事となった[3]。同年6月、判事を兼ね、1879年(明治12年)宮城県会議員に選出され、副議長、常置委員を経て、1884年(明治17年)議長に挙げられた[4]。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙で宮城県第5区から選出されたが、任期途中の1891年(明治24年)11月11日[5]に辞任した[2]。
親族
編集脚注
編集出典
編集参考文献
編集- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。