近藤芳樹 (国学者)
近藤 芳樹(こんどう よしき、1801年7月5日(享和元年5月25日)- 1880年(明治13年)2月29日)は、幕末から明治時代の国学者、歌人、長州藩士である。本姓は田中、幼名は裕。通称は源吾後に晋一郎。字は子潜。号は寄居子庵、風月史生等。
経歴・人物
編集田中源吉の長男として、周防の岩淵(現在の山口県防府市)に生まれる。村田春門及び本居大平の門人となり国学を学ぶ。また、山田以文の門人ともなり、律令等経済関係の学問も学んだ。
後に長州藩士となり、近藤氏に改姓する。改姓後は萩[注 1]に自身の家塾を開き、国学を伝授した。また、同時期に同じ大平の門人であった加納諸平と共に和歌をよくし、多くの詠歌を発表し佐々木弘綱、井上文雄らと共に幕末の動乱期における代表的な歌人となった。明治維新後は上京して、宮内庁における文学御用掛を務めた。没後、青山霊園に葬られた。
主な著作物
編集主著
編集その他の著書
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集外部リンク
編集- 広島で活躍した国学者近藤芳樹の場合 - 広島大学
- 近藤芳樹[青山霊園に眠る偉人・著名人] - 霊園・墓地検索サイト ハナミズキ