近藤吾郎
近藤 吾朗(五郎)(こんどう ごろう、1911年〈明治44年〉2月4日 - 1999年〈平成11年〉1月11日)は、日本の芸術家。戦前は中国に在住し東洋美術を学び、パリを中心に西洋美術、中近東やアジア諸国の古代文明跡に漂泊の旅を重ね、「写実の美」、「存在のリアリティー」を追求した[3]。
生誕 |
1911年(明治44年)2月4日 日本・福井県大野郡大野町(現:大野市) |
---|---|
死没 | 1999年1月11日(87歳没) |
国籍 | 日本 |
教育 | アカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエール[2] |
出身校 | 文化学院大学部美術科卒 |
著名な実績 | 絵画、油絵 |
代表作 | 『快晴富士』、『富嶽図』、『氷雪富士』、『黒の岸壁』ほか |
運動・動向 | 実在 |
親 | 近藤由太郎 |
影響を受けた 芸術家 | 梅原龍三郎[1]、石井柏亭[1] |
晩年は富士山麓の裾野市にアトリエ「無暦庵」を構え、黙々と富士山を描き続けた。どの絵画も丹念なマチエールでダイナミックで重厚感のある油絵が特徴である。
年譜
編集- 1911年(明治44年)2月4日、福井県大野郡大野町(現:大野市)の老舗呉服屋「あらころ呉服店」店主、近藤由太郎の長男として生まれた。[4]
- 1931年(昭和6年)文化学院大学部美術科入学
- 1932年(昭和7年)
- 1935年(昭和10年)文化学院大学部美術科卒業
- 1936年(昭和11年)第五回日本版画協会展に石版画「横浜埠頭」、「不忍の池」を出展[7]
- 1937年(昭和12年)第一回一水会展覧会に「Iの像」を出展し入選する[8][4]
- 1938年(昭和12年)〜1946年(昭和21年)
中国に渡り、東洋美術を学ぶ - 1943年(昭和18年)第六回新文部省美術展覧会に「上海黄浦江」を出展[9]
- 1947年(昭和22年)一水会入会[10]
- 1952年(昭和27年)近藤吾郎・黒田外喜男油画二人展を銀座資生堂ギャラリーにて開催
- 1957年(昭和32年)渡欧、パリに在住しグランド・ショミエール[2]にて西洋美術を学ぶ
- 1959年(昭和34年)近藤吾郎滞欧作品展を高島屋日本橋店にて開催[11]
- 1960年(昭和35年)
- 1962年(昭和37年)
- 第一回日本実在派展を文藝春秋画廊にて開催。
- 「"断崖と石" 近藤吾郎個展」を開催。
- 1963年(昭和38年)第二回日本実在派展を文藝春秋画廊にて開催。「飛鳥」を出展
- 1964年(昭和39年)第三回日本実在派展を文藝春秋画廊にて開催。
- 1964年(昭和40年)〜1974年(昭和49年)
インド、アメリカ、アフガニスタン、ペルシャ、メソポタミア、エジプト等に古代文明の遺跡を歴訪、古代美術を学ぶ。その間、フランス、ギリシア、イタリア等を再訪、古典技法を学ぶ - 1973年(昭和48年)〜1986年(昭和62年)
個展を毎年ギャラリージェイコにて開催 - 1975年(昭和50年)
- 1978年(昭和53年)福井県現代作家秀作展(福井県立美術館主催)に出展
- 1981年(昭和56年)ギリシア、イタリアへ旅行する
- 1983年(昭和58年)富士山資料館(裾野市、閉館)に「快晴表富士」を寄贈[12]
- 1985年(昭和60年)油絵個展をギャラリーほさか(沼津市)にて開催
- 1991年(平成3年)裾野市民文化センター(裾野市)に「富嶽図」を寄贈[10]
- 1993年(平成5年)
- 個展を裾野市民文化センターにて開催
- 回顧展を東京国際美術館にて開催
- 1997年(平成9年)「裾野市民文化センター開館5周年記念 近藤吾郎絵画展」を開催
- 1999年(平成11年)1月11日 死去(満87歳没)
主な作品
編集- 阪急駅の花屋(油彩、1932年)- 文献から確認できる最古の作品。大野研究会洋画展に出展
- 横浜埠頭(石版画、1936年)- 第五回日本版画協会展に出展
- 不忍の池(石版画、1936年)- 第五回日本版画協会展に出展
- Iの像(油彩、1937年)- 第一回一水会展覧会に出展。入選作品
- 富嶽図(油彩、裾野市蔵)[10]
- 快晴表富士(油彩、裾野市蔵)[12]
- 霊峰富士(油彩、裾野市蔵)
- 富士裾野の段丘(油彩、裾野市蔵)
- 道祖神(油彩、東京国立博物館蔵)
他数百点以上の作品を残している。
主な作品展示先
編集書籍
編集紀行
編集- 『密林に沈む神秘の遺跡 -アンコールワット紀行-下』金融界19、金融界社(1967年8月)
- 『密林に沈む神秘の遺跡 -アンコールワット紀行-上』金融界19、金融界社(1967年6月)
出典
編集- ^ a b 『岳麓新聞』1991年8月29日。
- ^ a b 『新美術新聞』1980年5月。
- ^ 『日刊静岡』1979年1月。
- ^ a b 『福井新聞』1980年11月30日。
- ^ 『日本美術界一覧 : 附・美術家名簿 昭和7年度』美術新論社、1932年。
- ^ 『大野市史 第10巻 (新聞資料編)』大野市、2000年。
- ^ 『第五回日本版画協会展覧会出品目録』1936年。
- ^ 『一水会展覧会図録 第1回』一水会展図録刊行会、1937年。
- ^ 『文部省美術展覧会図録 第6回』文部省、1944年。
- ^ a b c d 『裾野ジャーナル 第512号』裾野ジャーナル編集部、1991年9月2日。
- ^ 『高島屋美術部五十年史』高島屋美術部五十年史編集委員会 編、1960年。
- ^ a b 『広報すその 正月号』裾野市役所、1985年1月15日。