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辻寛治
日本の医学者
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辻 寛治
(つじ かんじ、
1879年
9月19日
-
1960年
6月2日
)は日本の医学者(
内分泌学
)
[
1
]
。
京都帝国大学
名誉教授。
島根県
出身。郷里と
相国寺
に墓所がある
[
1
]
。
略歴
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1879年
島根県
邇摩郡
大国村
(現・
大田市
仁摩町
)に木島幸太郎・コマの子として生まれる。
1906年
京都帝国大学医科大学卒業(成績優秀により恩賜の
銀時計
を授与される
[
1
]
)。その後、
鹿児島県立病院
内科部長などを歴任。
1914年
ドイツへ留学するが
第一次世界大戦
が勃発したためイギリスに渡り、
ロンドン大学
で
アーネスト・スターリング
教授に師事
[
1
]
。
1918年
日本へ帰国する。
1921年
京都帝国大学教授に就任。
1925年
日本内分泌学会を創立。
1927年
日本内科学会会頭に就任。
1942年
京都帝国大学教授を退官。
出典
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[
脚注の使い方
]
『仁摩町誌』(1972年)
^
a
b
c
d
三宅儀「第50回 日本内分泌学会総会記念講演「先覚を偲ぶ」辻寛治博士」『日本内分泌学会雑誌』第53巻第11号、日本内分泌学会、1977年、1226-1232頁、
doi
:
10.1507/endocrine1927.53.11_1226
。