足立長義
日本の実業家
足立 長義[1](あだち ながよし、1856年7月16日(安政3年6月15日) - 1930年(昭和5年)6月10日[2])は、日本の実業家、篤農家[3]、教育家、政治家。鳥取県西伯郡外江村長(第7代)[2]。
経歴
編集第4代外江村長足立長重の弟[2]。製糸業を営む[1]。1906年3月から1907年8月まで外江村長をつとめる[2]。高等科設置、校地拡張、校舎増築等教育面で尽力する[2]。また外江村会議員、外江村学務委員、小学校長をつとめる。
人物
編集足立長義について、『商工資産信用録 第23回』には「職業・製糸、調査年月・1922年6月、正身身代・未詳、信用程度・D」とある[4]。
『商工資産信用録 第25回』には「職業・製糸、調査年月・1924年9月、正身身代・未詳、信用程度・D」とある[5]。
『商工資産信用録 第26回』には「職業・製糸、調査年月・1925年7月、正身身代・Z、信用程度・E」とある[6]。
『商工資産信用録 第29回』には「職業・製糸、調査年月・1928年7月、正身身代・Z、信用程度・F」とある[7]。
『西伯之資力 大正11年10月調』によれば、地価は588円5銭である[8]。住所は鳥取県西伯郡外江村[8](現・境港市外江町)。
脚注
編集- ^ a b 『陰陽八郡郡勢一斑』155頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ a b c d e 『境港市史 上巻』522 - 523頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』174頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第23回』鳥取県193頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第25回』鳥取県10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月14日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第26回』鳥取県11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月14日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第29回』鳥取県15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ a b 『西伯之資力 大正11年10月調』6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
参考文献
編集- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 﨏雨村編『陰陽八郡郡勢一斑』陰陽八郡時報社、1917年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第23回』商業興信所、1921 - 1926年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第25回』商業興信所、1921 - 1926年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第26回』商業興信所、1921 - 1926年。
- 西伯の資力調査会編『西伯之資力 大正11年10月調』西伯資力調査部、1922年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第29回』商業興信所、1928年。
- 『境港市史 上』境港市、1986年。