足立豊
大正・昭和期の教育者、政治家、華族
足立 豊(足立 豐、あだち ゆたか、1888年〈明治21年〉9月19日[1] - 1945年〈昭和20年〉1月5日[1][2])は、大正から昭和期の教育者、政治家、華族。貴族院男爵議員。旧姓・田口。
経歴
編集茨城県で田口贇郎の五男として生まれ、1906年(明治39年)12月、足立正声の養子となる[1][3][4]。養父の死去に伴い、1907年(明治40年)5月13日、男爵を襲爵した[1][3][4][5]。
1916年(大正5年)東京農業大学を卒業[2][3]。1920年(大正9年)宮内属に就任[2]。その後、東京農業大学助手、同講師などを務めた[2][3]。
1925年(大正14年)7月10月、貴族院男爵議員に選出され[6][7]、公正会に属して活動し1939年(昭和14年)7月9日まで2期在任した[2]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 旭村史編さん委員会『旭村の歴史 通史編』旭村教育委員会、1998年。
日本の爵位 | ||
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先代 足立正声 |
男爵 足立(正声)家第2代 1907年 - 1945年 |
次代 足立正敬 |