趙 広(廣)(ちょう こう、拼音: Zhào Guǎng、?(生年不詳)- 263年)、冀州常山国真定県(現河北省正定県)の人。中国三国時代蜀漢の武将。父は趙雲、兄は趙統

趙広(趙廣)
正定県「趙雲廟」趙雲・趙統・趙広の塑像
正定県「趙雲廟」趙雲・趙統・趙広の塑像
蜀漢
牙門将
出生 ?(生年不詳)
死去 炎興元年(263年
拼音 Zhào Guǎng
不詳
主君 劉禅
趙雲
兄弟 趙統(兄)
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事績

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蜀漢を代表する将の一人である趙雲の次子。牙門将中国語版として姜維に随行し、沓中にて戦死した[1]

三国志演義

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羅貫中の小説『三国志演義』第97回に登場。兄の趙統と共に、趙雲の病死を諸葛亮、次いで劉禅に報告。牙門将に任じられ、趙雲の墓守を命じられる[2]

関連作品

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漫画

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連載作品

読み切り作品

ゲーム

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カードゲーム

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  • 三国殺
    (2008年、中国:Yoka Games(游卡桌游)、日本:株式会社ミント)

出典

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  1. ^ 『三國志』卷36 趙雲伝,"次子廣,牙門將,隨姜維遝中,臨陳戰死。"
  2. ^ 『三國演義』第97回「討魏国武侯再上表 破曹兵姜維詐献書」,
    "正飲酒間,忽報鎮南将軍趙雲長子趙統、次子趙広,来見丞相。孔明大驚,擲盃於地曰:「子龍休矣!」二子入見,拝哭曰:「某父昨夜三更病重而死。」(中略)却説後主思念趙雲昔日之功,祭葬甚厚,封趙統為虎賁中郎将,趙広為牙門将,就令守墳,二人辞謝而去。"

参考文献

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関連人物

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