越智治雄
日本近代文学研究者
越智 治雄(おち はるお、1929年10月27日 - 1983年6月24日)は、日本近代文学研究者。元東京大学教養学部教授。
生涯
編集東京生まれ。東京大学国文科卒、1958年同大学院満期退学、学習院中等科教諭、共立女子大学短大部助教授を経て、1966年東大教養学部助教授、1975年教授。明治初期文学の実証的研究を主とするが、『漱石私論』(1971年)では作品論を試み、関西大学の谷沢永一から批判される。1976年頃から病がちになり、1983年に死去。勲三等瑞宝章を授与される。没後、論文集が纏められた。
人物
編集ハンサムだったため、若い頃黒澤明から俳優になるよう勧められたという。
著書
編集脚注
編集