赤沢 与仁(赤澤 與仁[1]、あかざわ よじん、1905年[注 1]明治38年)10月6日[2]1960年昭和35年)2月13日[2][3])は、昭和期の農政家[2]実業家政治家参議院議員

経歴

編集

徳島県[3]板野郡大津村[4]吉永(現鳴門市大津町吉永[2])で、赤沢時太郎、サキの長男として生まれる[2][4]。1930年(昭和5年)[注 2]九州帝国大学法文学部法科を卒業した[3]

1933年(昭和8年)産業組合中央会徳島県支会主事補に就任[2][3]。その後、徳島県農業会長、全国農業会理事、大津農業協同組合長、徳島県農業協同組合連合会理事、同会長、全国農業協同組合連合会理事、徳島県信用農業協同組合連合会長、農林中央金庫評議員、全国農業共済組合連合会理事、徳島民報社監査役、日本ガイドショップ社長、石岡電機顧問などを務めた[2][3]

1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙徳島県地方区から出馬して当選し[2][3][5]緑風会に所属して参議院議員に1期在任した[2][3]。この間、参議院公職選挙法改正に関する特別委員長などを務めた[3]

1960年昭和35年)2月13日死去、55歳。死没日をもって勲四等旭日小綬章追贈、正五位に叙される[1]

脚註

編集

注釈

編集
  1. ^ 『別冊 徳島県歴史人物鑑』20頁では元号年を「明治38」としているが西暦は「1902年」としている。『人事興信録 第15版 上』ア18頁、『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』235頁では、いずれも明治38年であり1905年の誤植と判断した。
  2. ^ 『人事興信録 第15版 上』ア18頁では昭和6年。

出典

編集
  1. ^ a b 『官報』第9960号152頁 昭和35年3月7日号
  2. ^ a b c d e f g h i 『別冊 徳島県歴史人物鑑』20頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』235頁。
  4. ^ a b 『人事興信録 第15版 上』ア18頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』508頁。

参考文献

編集
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『別冊 徳島県歴史人物鑑』徳島新聞社、1994年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。