赤松村 (鳥取県)
日本の鳥取県八頭郡にあった村
赤松村(あかまつそん)は、鳥取県八東郡・八頭郡にあった村、自治体である。
あかまつそん 赤松村 | |
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廃止日 | 1909年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 若桜村、赤松村、菅野村 → 若桜町(初代) |
現在の自治体 | 若桜町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,425人 (鳥取県統計書、1908年) |
隣接自治体 |
若桜村、菅野村、丹比村 岩美郡上舟村 兵庫県美方郡小代村、八田村 |
赤松村役場 | |
所在地 |
鳥取県八頭郡若桜村大字若桜宿 (若桜村赤松村組合役場) |
座標 | 北緯35度21分16秒 東経134度23分44秒 / 北緯35.35446度 東経134.39547度座標: 北緯35度21分16秒 東経134度23分44秒 / 北緯35.35446度 東経134.39547度 |
特記事項 | 座標は現在の内町公民館位置 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集現在の若桜町大字赤松・来見野・諸鹿(もろが)・屋堂羅(やどら)・浅井に相当する。千代川水系八東川支流の来見野川流域に位置した。
藩政時代には鳥取藩領の八東郡若桜郷(わかさのごう)に属する赤松村・来見野村・諸鹿村・屋堂羅村・浅井村があった[1][2]。
沿革
編集- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 若桜宿(後の若桜村大字若桜宿)に設置された連合戸長役場の管轄区域となる[1][3]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、 赤松村・来見野村・諸鹿村・屋堂羅村・浅井村が合併して村制施行し、八東郡赤松村が発足。旧村名を継承した5大字を編成。若桜村との組合役場を同村大字若桜宿に設置[4]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡赤松村となる。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 若桜村、菅野村と合併して若桜町(初代)が発足。同日赤松村廃止[5]。
行政
編集- 歴代若桜村赤松村組合村長については若桜村を参照。
脚注
編集- ^ a b 初稿八頭郡誌(八頭郡郷土文化研究会郡誌編集専門委員、1982年)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「若桜郷(近世)」
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「町村廃置並村役場位置」『官報』1909年03月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)