貴州(きしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から初にかけて、現在の広西チワン族自治区貴港市一帯に設置された。

中国地名の変遷
建置 635年
使用状況 貴港市
後漢鬱林郡
三国鬱林郡
西晋鬱林郡
東晋十六国鬱林郡
南北朝鬱林郡
定州
南定州
尹州
鬱州
鬱林郡
南尹州
貴州
五代貴州
北宋/貴州
南宋/貴州
貴州
貴県
貴県
中華民国貴県
現代貴県
貴港市

唐代

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621年武徳4年)、唐が蕭銑を滅ぼすと、鬱林郡の地に南尹州が立てられた。南尹州は鬱林懐沢鬱平馬嶺潮水石南興徳桂平嶺山安城の11県を管轄した。635年貞観9年)、南尹州は貴州と改められた。742年天宝元年)、貴州は懐沢郡と改称された。758年乾元元年)、懐沢郡は貴州の称にもどされた。貴州は嶺南道の邕管十州に属し、鬱平・懐沢・義山・潮水の4県を管轄した[1]

宋代

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のとき、貴州は広南西路に属し、鬱林県を管轄した[2]

元代以降

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1281年至元18年)、により貴州は和斜温両投下の食邑所在地とされた[3]1301年大徳5年)、宋隆済らが反乱を起こし、知州の張懐徳が戦死した[4]1305年(大徳9年)に鬱林県が廃止され、貴州は管轄県を持たない散州とされた。貴州の人口は8891戸、20811人あった[5]

1369年洪武2年)、明により貴州は貴県に降格された。貴県は潯州府の属県となった[6]

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志四
  2. ^ 宋史』地理志六
  3. ^ 元史』食貨志三
  4. ^ 『元史』成宗紀三
  5. ^ 『元史』地理志六
  6. ^ 明史』地理志六