潯州(じんしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から初にかけて、現在の広西チワン族自治区桂平市一帯に設置された。

概要

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692年長寿元年)、武周により龔州桂平県に潯州が置かれた。742年天宝元年)、唐により潯州は潯江郡と改称された。758年乾元元年)、潯江郡は潯州の称にもどされた。潯州は嶺南道の桂管十五州に属し、桂平・皇化の2県を管轄した[1]

のとき、潯州は広南西路に属し、桂平県を管轄した[2]

1276年至元13年)、により潯州に安撫司が置かれた。1279年(至元16年)、潯州安撫司は潯州路総管府と改められた。潯州路は湖広等処行中書省に属し、桂平・平南の2県を管轄した[3]

1368年洪武元年)、により潯州路は潯州府と改められた。潯州府は広西省に属し、桂平・平南・の3県を管轄した[4]

のとき、潯州府は広西省に属し、桂平・平南・貴・武宣の4県を管轄した[5]

1913年中華民国により潯州府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志四
  2. ^ 宋史』地理志六
  3. ^ 元史』地理志六
  4. ^ 明史』地理志六
  5. ^ 清史稿』地理志二十