象ヶ鼻平助
安房国館山出身の元相撲力士
象ヶ鼻 平助(ぞうがはな へいすけ、1836年(天保7年) - 1890年(明治23年)3月18日)は、安房国館山(現・千葉県館山市)出身の大相撲力士。最高位は大関。身長171cm、体重103kg。所属部屋は谷川部屋→雷部屋→高砂改正組。幸運かつ異例なスピード出世で知られる。
略歴
編集元幕下二段目・鍬形の4代谷川の門人となり1859年(安政6年)11月鍬形 平次の名で幕下に付出される。1861年(万延2年)轟 平助と改め1866年(慶応2年)11月場所4日目より丸亀藩の抱えとなり象ヶ鼻 平助を名乗る。1868年(慶応4年)6月入幕。1870年(明治3年)4月小結を飛ばして関脇、翌1871年(明治4年)3月鬼面山谷五郎の引退を受けて大関に昇進。入幕から6場所での大関は年功序列の当時としては考えられないスピード出世だった。たくましい体で力量もあったが不器用な取り口で大関わずか3場所で1872年(明治5年)4月限りで引退した。
年寄白玉となるも翌1873年(明治6年)高砂改正組事件が起こると改正組に加わり大関を務めたが、これも長続きせず不遇のうちに郷里に帰り1890年(明治23年)3月18日に55歳で没した。
成績
編集- 幕内9場所 36勝16敗30休7分1預
場所別成績
編集春場所 | 冬場所 | |||||
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1859年 | x | 西幕下42枚目 – |
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1860年 | 西幕下39枚目 – |
西幕下33枚目 – |
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1861年 | 東幕下32枚目 – |
東幕下30枚目 – |
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1862年 | 東幕下25枚目 – |
東幕下21枚目 – |
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1863年 | 西幕下17枚目 – |
西幕下14枚目 – |
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1864年 | 東幕下14枚目 – |
西幕下16枚目 – |
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1865年 | 西幕下13枚目 – |
西幕下13枚目 – |
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1866年 | 西幕下8枚目 3–3 1分 |
西幕下7枚目 3–3 3分 |
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1867年 | 東幕下4枚目 3–3 2分 |
東幕下4枚目 3–4 2分 |
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1868年 (明治元年) |
東前頭7枚目 6–2–1 1分 |
東前頭4枚目 4–3–3 |
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1869年 (明治2年) |
東前頭2枚目 8–1–1 |
東前頭筆頭 5–0–2 3分 |
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1870年 (明治3年) |
東関脇 5–2–2 1預 |
西関脇 4–3–1 3分 |
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1871年 (明治4年) |
西大関 3–5–2 |
西大関 1–0–8 1分 |
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1872年 (明治5年) |
西大関 引退 0–0–10 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
- 当時は十両の地位が存在せず、幕内のすぐ下が幕下であった。番付表の上から二段目であるため、現代ではこの当時の幕下は、十両創設後現代までの十両・幕下と区別して二段目とも呼ぶ。
- 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。また当時の幕下下位以下の星取・勝敗数等に関する記録はほとんど現存していないため、幕下下位以下の勝敗数等は省略。
関連項目
編集参考文献
編集- 酒井忠正『日本相撲史』中巻、1964年
- 『大相撲人物大事典』2001年 ISBN 9784583036403