西野修平
西野 修平(にしの しゅうへい、1972年12月25日 - )は、日本の政治家。大阪府河内長野市長就任予定者。元大阪府議会議員(6期)。
西野 修平 にしの しゅうへい | |
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生年月日 | 1972年12月25日(51歳) |
出生地 | 日本 大阪府東大阪市 |
出身校 | 関西大学商学部 |
前職 |
富士通社員 衆議院議員秘書 |
所属政党 |
(無所属→) (自由民主党→) (大阪維新の会→) (無所属→) 自由民主党 |
配偶者 | 小林由佳(元堺市議会議員) |
親族 |
祖父・西野米太郎(元大阪府議会議長) 父・西野陽(元衆議院議員) 兄・西野弘一(大阪府議会議員、元衆議院議員) 叔父・西野茂(元大阪府議会議員) |
公式サイト | 西野修平オフィシャルサイト |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2024年8月3日 - 予定 |
選挙区 | 河内長野市選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 2003年4月13日 - 2024年6月30日 |
来歴・人物
編集大阪府東大阪市出身[1]。関西大学商学部卒業後、富士通に入社[2]。
1998年、富士通を退社し、翌1999年に大阪府議会議員選挙河内長野市選挙区に立候補するが、惜敗。その後衆議院議員秘書を経て、2003年の府議選で初当選し、以後、6期連続当選[2]。
自由民主党に所属していたが、2010年3月に自民府議団を離れ、大阪維新の会に参加[3]。
2017年10月、第48回衆議院議員総選挙大阪13区において日本維新の会の公認候補を支援せず、実兄の西野弘一元衆議院議員(無所属)を支援する意向を示し、日本維新の会と大阪維新の会の両方を離党した[4]。
その後は1人会派で活動したが、2020年10月16日、府議会の自民党会派に10年ぶりに復帰[3]。
2021年8月10日、第49回衆議院議員総選挙で大阪15区から自民党公認での立候補を目指す意向を表明[5]したが、9月15日に行われた党員投票の結果、現職の竹本直一の娘婿である加納陽之助に敗れた[6]。加納は同年10月の衆院選で落選したが、次期衆院選に大阪10区から立候補することを目標に、2023年8月から自民党の大阪10区支部長に異動している。
2024年6月24日、河内長野市長選挙(6月30日告示、7月7日投開票)への立候補を表明。現職の河内長野市長で、次期衆院選への立候補を視野に2023年8月から自民党の大阪第15区支部長を兼務していた島田智明が市長職を2期で退任することを受けての表明[1]で、自民党籍を残しながらも特定の政党に推薦を求めない意向も示していた[7]。結局、河内長野市長選挙では告示日に西野以外の立候補者の届出がなかったため、無投票による西野の初当選が決まった[8]。
不祥事
編集2023年5月16日、同年の府議選で選挙運動を手伝う見返りとして報酬を支払う約束をしたとして、西野の事務所職員の女性が公職選挙法違反(買収約束、事前運動)の罪で逮捕され、6月5日に大阪簡裁は、罰金50万円の略式命令を出した[9]
脚註・参考
編集- ^ a b “大阪府議の西野氏が立候補表明 河内長野市長選、現職は不出馬”. 産経新聞. (2024年6月24日) 2024年7月1日閲覧。
- ^ a b 西野修平オフィシャルサイト プロフィール
- ^ a b “行政ファイル:自民党府議団が単独第2会派に /大阪”. 毎日新聞. (2020年12月17日) 2024年7月1日閲覧。
- ^ “衆院選 維新府議が離党、衆院選めぐり「人の道通す」”. 産経新聞. (2017年10月6日) 2024年7月1日閲覧。
- ^ “現職引退説で風雲急 府議出馬表明、娘婿も禅譲狙う 大阪15区”. 産経新聞. (2021年8月10日) 2024年7月1日閲覧。
- ^ “自民・衆院大阪15区、竹本氏の娘の夫・加納氏に 府連が公認申請へ”. 朝日新聞. (2021年9月15日) 2024年7月1日閲覧。
- ^ “大阪・河内長野市長選に府議の西野修平氏が立候補へ 政党推薦は求めず”. 産経新聞. (2024年6月16日) 2024年7月1日閲覧。
- ^ “「非常に厳しい」 大阪維新・吉村代表の出身地で市長選「不戦敗」”. 朝日新聞. (2024年6月30日) 2024年7月1日閲覧。
- ^ “自民大阪府議の事務所職員に罰金 府議選で報酬約束”. 産経新聞. (2024年6月5日) 2024年7月1日閲覧。