西村俊成

昭和期の雑誌編集者、住職

西村 俊成(にしむら としなり、1901年3月13日[1] - 1977年[2])は、昭和期の雑誌編集者。大日本雄辯會講談社(現・講談社)「少年倶楽部」の編集長を務め、のち常務顧問を歴任。八王子市曹洞宗信松院住職を務めた。

来歴

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東京都生まれ。曹洞宗大学(今の駒澤大学)卒業。大日本雄辯會講談社入社。

婦人倶楽部」などの編集を担当し、「少年倶楽部」の編集長を務めた。1956年1月31日、取締役就任[3]1964年1月28日に取締役(元常務)を退任し顧問[4]

1971年、児童文化功労者(日本児童文芸家協会[5]。1968年「追想の広川弘禅」(私家版)の編集を務めた。

受賞

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  • 1971年 児童文化功労者(日本児童文芸家協会)

家族

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  • 息子 西村俊一(映画製作者、宣弘社C.A.Lのテレビプロデューサー、脚本家)
  • 息子 西村輝成(文筆家、八王子市の曹洞宗信松院住職、全日本仏教会副会長)

関連項目

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出典

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  1. ^ 『人事興信録 第25版 下』(人事興信所、1969年)に77頁
  2. ^ library.osu.edu. “Japanese Children's Literature”. 2020年4月16日閲覧。
  3. ^ 渋沢社史データベース. “『講談社の80年:1909~1989』131”. 2020年4月16日閲覧。
  4. ^ 渋沢社史データベース. “『講談社の80年:1909~1989』157”. 2020年4月16日閲覧。
  5. ^ 日本児童文芸家協会. “児童文化功労者一覧”. 2020年4月16日閲覧。
  6. ^ books.google. “「隠密剣士、いまここに甦る!」徳永文一”. 2020年4月16日閲覧。

 

外部リンク

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