西幡豆駅
愛知県西尾市にある名古屋鉄道の駅
西幡豆駅(にしはずえき)は、愛知県西尾市西幡豆町中屋敷にある名古屋鉄道(名鉄)蒲郡線の駅。駅番号はGN15。当駅ではmanacaが使用できない。
西幡豆駅 | |
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待合所とトイレ | |
にしはず NISHI HAZU | |
◄GN14 三河鳥羽 (1.5 km) (2.3 km) 東幡豆 GN16► | |
所在地 | 愛知県西尾市西幡豆町中屋敷16番地4 |
駅番号 | GN 15 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 蒲郡線 |
キロ程 | 4.7 km(吉良吉田起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
466人/日 -2020年- |
開業年月日 | 1936年(昭和11年)7月24日 |
備考 | 駅員無配置駅 |
歴史
編集比較的早くに無人化されているが、駅集中管理システム未導入のまま、有人駅当時の駅舎が2021年(令和3年)まで残されていた。
2005年(平成17年)1月28日までは特急(晩年は蒲郡行きのみ1本のみで、名古屋方面行きは通過)・急行が停車していた。
- 1936年(昭和11年)7月24日 - 開業。
- 1964年(昭和39年)度 - 貨物営業廃止[1]。
- 1998年(平成10年)6月1日 - 無人化[2]。
- 2021年(令和3年)10月10日 - 駅舎取り壊しに伴い、西尾市が駅舎ありがとうイベントを実施[3]。
- 2024年(令和6年)3月23日 - 待合所を新設[4]。
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電化前の西幡豆駅
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解体された駅舎
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解体されたトイレ
駅構造
編集1面2線島式ホームを持つ行違い可能な地上駅で、列車は右側通行で進入する。駅集中管理システム未導入の無人駅である[5]。ホームは4両編成に対応。
吉良吉田 - 蒲郡間のワンマン運転対応のため駅舎内には自動券売機が設置されていたが、駅舎取り壊しに伴い自動券売機は撤去され、ホームに乗車駅証明書発行機が設置された[3]。2024年(令和6年)3月には駅舎跡地に待合所が建設されている[4]。待合所の木製ベンチは吉良ライオンズクラブが設立60周年記念事業の一環で西尾市に寄贈したものである[6]。
駅舎解体時に従来のトイレも撤去され[3]、暫定的に仮設トイレが設置されていたが、2022年(令和4年)7月にはハマネツ製ユニバーサルトイレの「ネクストイレ ユニバーサル」が導入され、ベンチの設置など駅前の整備が行われた[7]。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
(南側) | GN 蒲郡線 | 上り | 吉良吉田ゆき[8] |
(北側) | 下り | 蒲郡ゆき[8] |
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駅出入口
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ホーム
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乗車駅証明書発行機
-
駅名標
配線図
編集 ← 吉良吉田方面 |
→ 蒲郡方面 |
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凡例 出典:[9] |
利用状況
編集現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
- 『名鉄120年:近20年のあゆみ』によると2013年度当時の1日平均乗降人員は645人であり、この値は名鉄全駅(275駅)中251位、 西尾線・蒲郡線(23駅)中16位であった[10]。
- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は1,020人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中219位、西尾線・蒲郡線(24駅)中13位であった[11]。
一日平均の乗車人員および乗降人員の推移は以下の通りである。
年 | 乗車人員 | 乗降人員 | 備考 | |
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総数 | 定期 | |||
1936(昭和11)年度 | 83 | 161 | 7月24日開業[12] | |
1937(昭和12)年度 | 179 | 300 | [13] | |
1938(昭和13)年度 | 113 | 227 | [14] | |
1939(昭和14)年度 | 144 | 282 | [15] | |
1940(昭和15)年度 | 171 | 334 | [16] | |
1941(昭和16)年度 | ||||
1942(昭和17)年度 | ||||
1943(昭和18)年度 | ||||
1944(昭和19)年度 | ||||
1945(昭和20)年度 | ||||
1946(昭和21)年度 | ||||
1947(昭和22)年度 | ||||
1948(昭和23)年度 | ||||
1949(昭和24)年度 | *364 | *663 | 期間は1949年5月 - 1950年4月末[17] | |
1950(昭和25)年度 | *586 | *1197 | 期間は1949年11月 - 1950年10月末[18] | |
1951(昭和26)年度 | *748 | *1447 | [19] | |
1952(昭和27)年度 | 732 | 1459 | [20] | |
1953(昭和28)年度 | 744 | 1487 | [21] | |
1954(昭和29)年度 | 732 | 1458 | [22] | |
1955(昭和30)年度 | 688 | 1368 | [23] | |
1956(昭和31)年度 | 761 | 1517 | [24] | |
1957(昭和32)年度 | 844 | 1682 | [25] | |
1958(昭和33)年度 | ||||
1959(昭和34)年度 | ||||
1960(昭和35)年度 | ||||
1961(昭和36)年度 | ||||
1962(昭和37)年度 | ||||
1963(昭和38)年度 | ||||
1964(昭和39)年度 | ||||
1965(昭和40)年度 | ||||
1966(昭和41)年度 | ||||
1967(昭和42)年度 | ||||
1968(昭和43)年度 | ||||
1969(昭和44)年度 | ||||
1970(昭和45)年度 | ||||
1971(昭和46)年度 | ||||
1972(昭和47)年度 | ||||
1973(昭和48)年度 | ||||
1974(昭和49)年度 | ||||
1975(昭和50)年度 | ||||
1976(昭和51)年度 | ||||
1977(昭和52)年度 | ||||
1978(昭和53)年度 | 974 | 653 | [26] | |
1979(昭和54)年度 | 950 | 643 | [27] | |
1980(昭和55)年度 | 964 | 656 | [28] | |
1981(昭和56)年度 | 950 | 649 | [29] | |
1982(昭和57)年度 | 890 | 604 | [30] | |
1983(昭和58)年度 | 837 | 578 | [31] | |
1984(昭和59)年度 | 774 | 550 | [32] | |
1985(昭和60)年度 | 680 | 502 | [33] | |
1986(昭和61)年度 | 631 | 441 | [34] | |
1987(昭和62)年度 | 575 | 384 | [35] | |
1988(昭和63)年度 | 560 | 363 | [36] | |
1989(平成元)年度 | 528 | 348 | [37] | |
1990(平成 | 2)年度506 | 343 | [38] | |
1991(平成 | 3)年度510 | 351 | [39] | |
1992(平成 | 4)年度507 | 342 | 1020 | [40][11] |
1993(平成 | 5)年度516 | 351 | [41] | |
1994(平成 | 6)年度520 | 351 | [42] | |
1995(平成 | 7)年度494 | 344 | [43] | |
1996(平成 | 8)年度448 | 310 | [44] | |
1997(平成 | 9)年度421 | 293 | [45] | |
1998(平成10)年度 | 393 | 275 | [46] | |
1999(平成11)年度 | 379 | 252 | [47] | |
2000(平成12)年度 | 377 | 258 | [48] | |
2001(平成13)年度 | 357 | 245 | [49] | |
2002(平成14)年度 | 357 | 253 | 715 | [50][51] |
2003(平成15)年度 | 325 | 228 | 651 | [52][51] |
2004(平成16)年度 | 331 | 243 | 663 | [53][54] |
2005(平成17)年度 | 322 | 237 | 644 | [55][54] |
2006(平成18)年度 | 320 | 242 | 640 | [56][54] |
2007(平成19)年度 | 312 | 233 | 623 | [57][54] |
2008(平成20)年度 | 304 | 222 | 607 | [58][54] |
2009(平成21)年度 | 313 | 236 | 626 | [59][54] |
2010(平成22)年度 | 308 | 234 | 617 | [60][61] |
2011(平成23)年度 | *330 | *256 | 657 | [62][61] |
2012(平成24)年度 | *316 | *242 | 631 | [62][61] |
2013(平成25)年度 | *321 | *247 | 645 | [62][61] |
2014(平成26)年度 | *321 | *247 | 642 | [63][61] |
2015(平成27)年度 | *324 | *250 | 646 | [63][61] |
2016(平成28)年度 | *324 | *247 | 644 | [63][61] |
2017(平成29)年度 | *319 | *242 | 633 | [63][61] |
2018(平成30)年度 | *310 | *236 | 619 | [63][61] |
2019(令和元)年度 | *302 | *231 | 604 | [64][65] |
2020(令和 | 2)年度466 | [66] |
* 千人単位からの概算値
駅周辺
編集旧幡豆町の中心駅。目立った市街地は残されていないが、旧町役場など公共施設が駅周辺に点在している。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、340頁。
- ^ “名鉄・西尾-蒲郡間 1日からワンマン運転 東幡豆、西幡豆両駅を無人化”、中日新聞、1998年5月29日朝刊、21面〔東三河総合〕
- ^ a b c ありがとう!西幡豆駅舎・東幡豆駅舎
- ^ a b “西幡豆・東幡豆駅に待合所 こどもの国駅にはトイレも 23日に利用開始”. 三河新報. (2024年3月20日)
- ^ 川島令三『東海道ライン 全線・全駅・全配線』 第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年、71頁。ISBN 978-4-06-270014-6。
- ^ 角野峻也“取り壊しの西幡豆駅、東幡豆駅 古い駅舎に「ありがとう」伝えよう 来月10日に催し”、中日新聞、2021年9月18日朝刊、13面〔西三河版〕
- ^ 令和4年度 第1回 西尾市地域公共交通活性化協議会 “資料5 名鉄蒲郡線西幡豆駅のトイレ等の設置について” (PDF). 西尾市. 2022年7月31日閲覧。
- ^ a b “西幡豆(GN15)(にしはず) 路線一覧”. 名古屋鉄道. 2021年10月3日閲覧。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第816号 2009年3月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、巻末折込「名古屋鉄道 配線略図」
- ^ 名鉄120年史編纂委員会事務局(編)『名鉄120年:近20年のあゆみ』名古屋鉄道、2014年、160-162頁。
- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ 『愛知県統計書. 昭和11年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和12年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和13年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和14年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和15年 第1編 第1編 土地、戸口、其他』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和24年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和27年刊行』、愛知県、1952年、330頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和28年刊行』、愛知県、1953年、314頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和29年刊行』、愛知県、1954年、333頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和30年刊行』、愛知県、1955年、309頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和31年刊行』、愛知県、1956年、307頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和32年刊行』、愛知県、1957年、323頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和33年刊行』、愛知県、1958年、339頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和34年刊行』、愛知県、1959年、382頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和55年刊』、愛知県、1980年、222頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和56年刊』、愛知県、1981年、228頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和57年刊』、愛知県、1982年、240頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和58年刊』、愛知県、1983年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和59年刊』、愛知県、1984年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和60年刊』、愛知県、1985年、242頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和61年刊』、愛知県、1986年、236頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和62年刊』、愛知県、1987年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和63年刊』、愛知県、1988年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成元年刊』、愛知県、1989年、226頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成2年刊』、愛知県、1990年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成3年刊』、愛知県、1991年、226頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成4年刊』、愛知県、1992年、230頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成5年刊』、愛知県、1993年、222頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成6年度刊』、愛知県、1995年、222頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成7年度刊』、愛知県、1996年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成8年度刊』、愛知県、1997年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成9年度刊』、愛知県、1998年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成10年度刊』、愛知県、1999年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成11年度刊』、愛知県、2000年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成12年度刊』、愛知県、2001年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成13年度刊』、愛知県、2002年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成14年度刊』、愛知県、2003年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成15年度刊』、愛知県、2004年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成16年度刊』、愛知県、2005年、第10章 運輸・通信
- ^ a b 名鉄西尾・蒲郡線対策協議会 “第2回協議会 参考資料1”、2020年12月8日閲覧。
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成17年度刊』、愛知県、2006年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成18年度刊』、愛知県、2007年、第10章 運輸・通信
- ^ a b c d e f 名鉄西尾・蒲郡線対策協議会 “第8回協議会 その他資料(西尾・蒲郡線の概況)”、2020年12月8日閲覧。
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成19年度刊』、愛知県、2008年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成20年度刊』、愛知県、2009年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成21年度刊』、愛知県、2010年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成22年度刊』、愛知県、2011年、第10章 運輸・情報通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成23年度刊』、愛知県、2012年、第10章 運輸・情報通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成24年度刊』、愛知県、2013年、第10章 運輸・情報通信
- ^ a b c d e f g h i 名鉄西尾・蒲郡線対策協議会 “第22回協議会 配布資料”、2020年12月8日閲覧。
- ^ a b c 西尾市企画部企画政策課(編)『西尾の統計 2014年刊』、西尾市、2015年、8 運輸・通信
- ^ a b c d e 西尾市企画部企画政策課(編)『西尾の統計 2019年刊』、西尾市、2020年、8 運輸・通信
- ^ 西尾市企画部企画政策課(編)『西尾の統計 2020年刊』、西尾市、2021年、8 運輸・通信
- ^ 名古屋鉄道 “令和元年度 移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)”、2021年10月4日閲覧。
- ^ 名古屋鉄道 “令和2年度 移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)”、2021年10月4日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 西幡豆駅 - 名古屋鉄道