西名寄駅

かつて北海道(上川支庁)名寄市曙にあった北海道旅客鉄道の駅(廃駅)

西名寄駅(にしなよろえき)は、北海道上川支庁名寄市曙にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線廃駅)である。事務管理コードは▲121416[2]

西名寄駅
駅跡周辺 (2011年8月8日)
にしなよろ
Nishi-nayoro
天塩弥生 (3.2 km)
(4.0 km) 名寄
所在地 北海道名寄市
北緯44度20分25.5秒 東経142度25分29.5秒 / 北緯44.340417度 東経142.424861度 / 44.340417; 142.424861
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 深名線
キロ程 117.8 km(深川起点)
電報略号 ニナ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線(廃止時)
開業年月日 1937年(昭和12年)11月10日[1]
廃止年月日 1995年(平成7年)9月4日[1]
備考 深名線廃線に伴い廃駅
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1977年の西名寄駅と周囲約500m範囲。右が名寄方面。貨物用の側線を2本持っているのが良く判る。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

廃止直前は停車する列車が下り(名寄方面)2本、上り(朱鞠内方面)1本と極めて少なかった。

歴史

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駅名の由来

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名寄市の西方に位置することから[3]

駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(名寄方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた[6]。かつては2面2線の相対式ホームを有する、列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった1線は、交換設備運用廃止後は撤去された。そのほか、本線から構内南側に分岐する貨物側線を3線有していた[6]。この貨物側線は木材運搬に使用され、1983年(昭和58年)4月時点では、分岐器が深川方、名寄方の両方向とも維持されていた形で2線が残存していたが[7]、1993年(平成5年)までに撤去された[6]

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が改築されて残っていた。駅舎は構内の北側に位置し、ホーム西側とを結ぶ通路で連絡した[6]。駅舎は無人化後縮小され、待合室部分のみの間口の狭い建物となっていた(1983年(昭和58年)時点ではこの形状[7])。

利用状況

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  • 1992年度(平成4年度)の1日当たりの乗降客数は2人[6]

駅周辺

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民家は少なく、周囲は休耕が目立っていた[7]

駅跡

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2000年(平成12年)時点では全ての施設が撤去されて既に整地され[9]、2011年(平成23年)時点では駅跡地に「上川ライスターミナル」の物流センター倉庫が建築されており、倉庫の前に停車場接近標識が立っていた[10]。また、駅名標のレプリカが、天塩弥生駅の駅名板と共に名寄市の「名寄市北国博物館」に、キマロキ編成とともに保存されている。

隣の駅

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北海道旅客鉄道
深名線
天塩弥生駅 - 西名寄駅 - 名寄駅

脚注

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  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、848頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、224頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、115頁。ASIN B000J9RBUY 
  4. ^ 大蔵省印刷局(編)「鉄道省告示 第418号」『官報』第3253号、国立国会図書館デジタルコレクション、1937年11月4日。 
  5. ^ a b 『新名寄市史 第2巻』名寄市史編さん委員会、2000年11月、434頁。 
  6. ^ a b c d e 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)77ページより。
  7. ^ a b c 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)206ページより。
  8. ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。
  9. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング2000年1月発行)36ページより。
  10. ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)181ページより。

関連項目

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