袁 準(えん じゅん、生没年不詳)は、三国時代から西晋にかけての官僚・儒学者。孝尼豫州陳郡扶楽県(現在の河南省太康県)の人。

生涯

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袁渙の四男として建安年間に生まれた。竹林の七賢の一人である嵆康に師事した。袁準は嵆康が得意とした「広陵散」と呼ばれる琴の曲の教授を何度も願ったが、嵆康は惜しみ、これを教えなかった。嵆康は讒言によって死罪となり刑の直前にこの曲を演奏し「広陵散、今に於いて絶ゆ」と言い残し処刑されたという[1]

袁準は忠信公正で知られ、人に教授を請うことを恥じなかった、世情が険しくなったため、あえて栄達を望まず、多くの著書を残し、治世について談論した[2]。俊才として名声を博し、西晋の泰始年間のごろには給事中を務めていたと言う[3]。著作に『儀礼喪服経注』1巻・『袁子正論』19巻・『袁子正書』25巻・『袁子集』2巻などがある[4]

家族

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  • 袁渙 - 字は曜卿、後漢末の郎中令
  • 袁侃
  • 袁㝢
  • 袁奥[5]

脚注

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  1. ^ 晋書』嵆康伝
  2. ^ 三国志』魏書袁渙伝注引『袁氏世紀』
  3. ^ 『三国志』魏書袁渙伝注引荀綽『九州記』
  4. ^ 隋書』経籍志
  5. ^ 『三国志』魏書袁渙伝注引『袁氏世紀』
  6. ^ 『晋書』巻83「準子沖、字景玄、光禄勲。沖子耽」