歴陽郡
概要
編集304年(西晋の永興元年)、淮南郡の烏江県と歴陽県を分割して、歴陽郡が立てられた[1]。歴陽郡は揚州に属し、郡治は歴陽県に置かれた。東晋の安帝のとき、豫州に転属した。
422年(南朝宋の永初3年)、豫州の淮東が分割されて南豫州が立てられると、歴陽郡は南豫州に転属した。宋の歴陽郡は歴陽・烏江・竜亢・雍丘・酇の5県を管轄した[2]。
南朝斉のとき、歴陽郡は歴陽・竜亢・雍丘の3県を管轄した[3]。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、歴陽郡は廃止されて、和州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、和州が歴陽郡と改称された。歴陽郡は歴陽・烏江の2県を管轄した[4]。
620年(武徳3年)、唐が杜伏威を降すと、歴陽郡は和州と改められた。742年(天宝元年)、和州は歴陽郡と改称された。758年(乾元元年)、歴陽郡は和州と改称され、歴陽郡の呼称は姿を消した[5]。