袁 湯(えん とう、生没年不詳)は、後漢の政治家。字は仲河。豫州汝南郡汝陽県(現在の河南省周口市商水県)の人。
袁京(袁安の子)の子として生まれた。若くして家学である『孟氏易』を伝授された。顕位を歴任して太僕に上った。146年(本初元年)閏月[1]、司空となった。梁冀に協力して、桓帝擁立の議論に参与したことから、安国亭侯に封じられた。147年(建和元年)10月[2]、司徒に転じた。149年(建和3年)10月[2]、太尉に転じた。153年(永興元年)10月[2]、災異のため太尉から免官された。後に死去した。諡は康侯といった。
袁湯が86歳のとき、男子が12人いたという[3]。