蜂須賀隆芳
日本の江戸時代後期~明治時代前期の武士・神職者。阿波徳島藩主一門蜂須賀昭順の子で、同格蜂須賀隆実養子(6代当主蜂須賀休栄婿養子)。隆寿流蜂須賀氏8代当主
蜂須賀 隆芳(はちすか たかよし、1831年(天保2年7月3日)[1] - ?)は、幕末の徳島藩公族(一門)。忌部神社の宮司。正室は蜂須賀休栄の娘である艶姫。幼名は規三郎、和泉。通称は久之丞。
生涯
編集公族蜂須賀昭順(蜂須賀治昭の三男)の子として誕生。母は佐藤氏。公族蜂須賀休栄の娘艶姫の婿となり、跡を継ぐ。1875年(明治8年)、忌部神社の宮司に任命せさる。
脚注
編集- ^ “蜂須賀家文書 仮目録”. 徳川黎明会. 2019年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月26日閲覧。
- ^ 大井三代子「蜂須賀正韶と笛子 ― 下田歌子研究(一) ―」『實踐國文學』第91巻、実践女子大学、2017年3月、205-234頁、ISSN 0389-9756、CRID 1050282676658099584、2023年6月12日閲覧。
- ^ 蜂須賀家公族一門(婿養子)