蜂須賀宗純
蜂須賀 宗純(はちすか むねずみ)は、江戸時代中期の阿波国徳島藩の世嗣。官位は従四位下・淡路守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保元年(1716年) |
死没 | 元文4年2月13日(1739年3月22日) |
改名 | 松平清純、蜂須賀宗純 |
官位 | 従四位下淡路守 |
藩 | 伊勢桑名藩、阿波徳島藩世嗣 |
氏族 | 奥平松平家、蜂須賀氏 |
父母 |
松平忠雅 蜂須賀宗英 |
兄弟 |
宗純、松平忠刻、井伊直存、松平忠張、 清性院、松平武元正室、津也、 真田幸詮正室、光相院ら |
略歴
編集伊勢国桑名藩主・松平忠雅の次男として誕生。初名は松平清純(まつだいら きよずみ)。
7代藩主・蜂須賀宗英の養子となり、元文3年(1738年)に徳川吉宗に拝謁して叙任、養父同様に吉宗の偏諱を受けて宗純に改名した。しかし、翌元文4年(1739年)に24歳で早世した。