真田 幸詮(さなだ ゆきあきら)は、江戸時代中期の信濃国松代藩の世嗣。官位従五位下出羽守

 
真田幸詮
時代 江戸時代中期
生誕 正徳3年(1713年
死没 享保21年2月7日1736年3月18日
戒名 高量院殿
墓所 神奈川県伊勢原市上粕屋 盛徳寺
官位 従五位下出羽守
信濃松代藩世嗣
氏族 真田氏
父母 真田信弘
兄弟 幸詮信安柳生俊峯繁信本多忠盈柳沢信鴻継室、一柳末栄継室ら
松平忠雅
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略歴

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正徳3年(1713年)、4代藩主・真田信弘の長男として誕生。正室は松平忠雅娘。

享保12年(1727年)に徳川吉宗に初御目見するが、家督を継ぐことなく、享保21年(1736年)に早世した。

代わって弟・信安が嫡子となり、のち藩主となった。