蜂田古爾比売
飛鳥時代の人物
蜂田古爾比売(はちだ の こにひめ、生年不明 - 和銅3年(710年)没)は、日本の飛鳥時代の人物である。河内国(後の和泉国)大鳥郡(現在の大阪府堺市)の人。高志才智を夫とし、天智天皇7年(668年)に僧行基を生んだ。
解説
編集古爾比売は蜂田虎身の長女で、天智天皇7年(668年)に河内国(和泉国)大鳥郡で行基を生んだ。夫は高志才智である[1]。その家は同郡蜂田郷にあった。当時一般的だった妻問い婚・招婿婚により、才智が古爾比売の蜂田家に通い、そこで行基が生まれたのであろう[2]。
古爾比売の事績については知られることはない。修行を終えた行基は、慶雲元年(704年)に自宅を仏閣にした。後の家原寺である[3]。慶雲2年(705年)から古爾比売は、山林修行を終えた行基に導かれて佐紀堂(現在の奈良県奈良市佐紀町)に住んだ。慶雲4年(707年)からは生馬仙房(生駒山の家)に移り、和銅3年(710年)に死ぬまで行基とともに住んだ[4]。
行基は母の死後も和銅5年(712年)まで生馬仙房(草野仙房とも)にとどまり、質素な生活をした。喪に服したのであろう[5]。後に行基が葬られた竹林寺の前身である[6]。