藤谷俊雄
藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日[1] - 1995年2月11日[1])は、日本の歴史学者、部落問題研究家である。
略歴
編集京都府京都市出身。生家は真宗大谷派の即現寺。京都府立第二中学校卒業後、1934年に高知高等学校文科甲類[2][1]、1937年京都帝国大学文学部史学科卒業[3]。1938年、治安維持法違反で検挙。その後、生家の住職、また京都市史編纂に参加[1]。
戦後、日本史研究会創設に参加[1]。また1966年には部落問題研究所理事長兼所長に就任し、文化厚生会館問題によって奈良本辰也・林屋辰三郎・原田伴彦らが去った後の研究所再建に尽力[1]。
著書
編集参考文献
編集- 脇田修「藤谷俊雄先生を悼む」『日本史研究』第394号、日本史研究会、1995年、71-75頁、NAID 40002930232。