藤原説貞
藤原 説貞(ふじわら の ときさだ)は、平安時代後期の武士。官職は陸奥権守。
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 陸奥権守 |
氏族 | 藤原氏 |
子 | 光貞、元貞、女子 |
略歴
編集前九年の役休戦中に、奥六郡を支配する俘囚長の安倍頼時の次男・貞任より、説貞の娘を嫁にという申し出があったが、身分の違いを理由により拒絶した。その矢先の天喜4年(1056年)阿久利川に野営中の説貞陣営で兵馬殺傷事件(阿久利川事件)が起きる。説貞は結婚拒絶の遺恨であろうと陸奥守・源頼義に讒言した。頼義は貞任を差し出すよう命じたが、頼時が応じなかったため、再び開戦する原因となった[1]。
脚注
編集- ^ 七宮涬三編『藤原四代のすべて』新人物往来社、1993年・ISBN 4-404-02025-2 C0021