藤原季平
藤原 季平(ふじわら の すえひら)は、日本の平安時代中期の公卿。右大弁・藤原遠経の孫。修理亮・藤原尚範の四男。
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 延喜22年(922年) |
死没 | 永観元年6月11日(983年7月23日) |
官位 | 従三位、治部卿 |
主君 | 円融天皇 |
氏族 | 藤原北家長良流 |
父母 |
父:藤原尚範 母:海氏の娘(丹後国人)または丹後守忠良(姓不詳)の娘 |
妻 | 不詳 |
子 | 貴清、長清 |
経歴
編集村上朝初頭に蔵人左衛門尉を務める。のち、信濃守・紀伊守・尾張守・播磨守など地方官を歴任した。
円融朝の貞元2年(977年)造宮の功労により従三位に叙せられて公卿に列す。のち散官を経て、天元5年(982年)治部卿に任ぜるが、翌永観元年(983年)6月11日薨去。享年62。
官歴
編集注記のないものは『公卿補任』による。
系譜
編集注記のないものは『尊卑分脈』による。
脚注
編集参考文献
編集- 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年