薛聡(せつそう、설총(ソルチョン)、生没年不詳)は、7世紀後半から8世紀前半頃の新羅儒学者。号は于堂。字は聡智。諡は弘儒侯。

薛聡
各種表記
ハングル 설총
漢字 薛聰
発音 ソルチョン
日本語読み: せつそう
英語 Seol Chong
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人物

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新羅時代の高僧として知られる元暁の子。神文王が682年に設置した国学で四書五経を学んだ。当時の新羅きっての大学者で、翰林に任ぜられた。儒教の経典を新羅語(朝鮮語)で読む方法(「吐」)や、新羅語を漢字で表現する方法(「吏読」)を考案したとされる。後世、日本語の万葉仮名や、オコト点に影響を与えている。

後世、新羅時代を代表する儒学者として尊敬を受け、孔子を祀る文廟に合祀された。主著には道徳規範の順守を説いた「諷王書(花王戒)」がある。子に薛仲業がいる。

参考文献

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  • 金素天「韓国史のなかの100人」明石書店 2002年
  • 「アジア人物史 3」 集英社 2023年