元暁がんぎょう[1]、或いはげんぎょう[2]ハングル表記 원효、本名:薛思、 諡号:和諍国師617年 - 686年[1])は新羅華厳宗僧侶である。新羅浄土教の先駆者。俗姓は、名前は誓幢、新幢である。

元暁
元暁の画像
各種表記
ハングル 원효
漢字 元暁
発音: ウォニョ
日本語読み: がんぎょう、げんぎょう
ローマ字 Won hyo
English: Won hyo
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薛思
各種表記
ハングル 설사
漢字 薛思
発音: ソルサ
日本語読み: せっし
ローマ字 Sul sa
English: Seol Sa
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人物

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新羅の押梁郡(現在の慶尚北道)に生まれ、29歳のときに皇龍寺で出家[3]興輪寺の法蔵に華厳を学ぶ。教学と論争に優れた人物であった[3]。650年, 義湘と共にに渡ろうとしようとしたが、高句麗軍に阻まれ失敗した[1]。661年また義湘と唐に渡ろうとしようとしたが、党項城の古塚にとどまっているときに喉の渇きを覚え、偶然に枕元にあった水を飲んだ。よく見ればその水は骸骨に溜まったものだった。そこで元曉は「真理は遠くにあるものではない。枕元で甘く飲めた水が、起きた後に骸骨に溜まっていたことを知った時、気に障り吐きたくなった。だが、世の中への認識は心にこそある」と悟って帰って来た[1]。その後は華厳学の研究に専念し、240巻もの著作を成した。

ある日、元曉が街で「誰許沒柯斧 我斫支天柱」という歌を歌った。誰も意味が分からなかったが, 武烈王だけは意味を理解し未亡人だった瑤石宮の公主を嫁がせ、彼女は薛聡を生んだ。その後、元曉は「小姓居士」と名を変えて、芸人が与えた瓠に「無碍」[注 1]という名を付けて、歌を作って仏教を庶民に普及させた[4]

弟子の審祥日本に華厳宗を伝えたため、東大寺を始めとする南都の諸寺院でもてはやされるようになり、高山寺にある『華厳縁起』には、元暁にまつわる様々な伝説が語られている。

著作リスト

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  • 『大慧度経宗要』
  • 『法華宗要』
  • 『華厳経疏』
  • 『大涅槃経宗要』
  • 『解深密経疏』
  • 『大乗起信論疏』
  • 『大乗起信論別記』
  • 『大無量寿経宗要』
  • 『阿弥陀経疏』
  • 『弥勒上生経宗要』
  • 『菩薩瓔珞本業経疏』
  • 『梵綱経菩薩』
  • 『戒本私記』
  • 『菩薩戒本持犯要記』- 本書については、関連資料を網羅的に紹介している研究がなされている[5]
  • 『中辺分別論疏』
  • 『大乗六情懺悔』
  • 『発心修行章』
  • 『十門和諍論』
  • 二障義
  • 判比量論
  • 金剛三昧経論
    • 『元暁大師全集』(寶蓮閣、1979年)
  • 遊心安楽道』- 本書は、近年の研究で元暁仮託の偽撰書である可能性が指摘されている[6]

脚註

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注釈

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  1. ^ 華厳経の「一切無碍人」から取った名。

出典

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  1. ^ a b c d 「元暁」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2014、Britannica Japan
  2. ^ 「元暁」 - 世界大百科事典 第2版、平凡社。
  3. ^ a b 木村清孝「元暁」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館。
  4. ^ 三国遺事』巻第四義解第五元曉不覊
  5. ^ 金炳坤「『菩薩戒本持犯要記』の基礎的硏究」『身延山大学仏教学部紀要』第19巻、身延山大学仏教学部、2018年、15-61頁、doi:10.15054/00001712NAID 1200066425912021年2月21日閲覧 
  6. ^ 恵谷隆戒「新羅元暁の遊心安楽道は偽作か」『印度學佛教學研究』第23巻第1号、日本印度学仏教学会、1974年、16-23頁、doi:10.4259/ibk.23.16NAID 1300040234262015年6月19日閲覧 

参考文献

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  • 金素天「韓国史のなかの100人」明石書店 2002年

関連項目

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