彫刻家の長谷秀雄が戦後まもない1947年(昭和22年)、自宅のあった蕨町土橋(現在の中央3丁目)のアトリエを教場として開塾した美術学校で、戦後美術教育の端緒となる施設であった。講師陣は中沢弘光、安井曾太郎、浦崎永錫、寺内萬治郎、奥瀬英三、田中青坪、島野重之、金子徳衛などが集まり、蕨は浦和画家の集う浦和市(現さいたま市)と隣接していたことから浦和画家からも指導者が訪れた。東京芸術大学教授の安井は画塾を「芸大分校」と形容している[1]。
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